すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

ヒネモスの時代を思い出す

2015年12月15日 | 読書
 【2015読了】123冊目 ★★★
 『私は嘘が嫌いだ』(糸井重里  角川文庫)


 なんと昭和59年の文庫本。中古書店Bで108円購入。体裁は悪くなかったがさすがに黄ばんだページ、活字も小さい。『話の特集』誌で連載されたらしいが、その当時はもう購読を止めた頃だったろうな。記憶にない。内容は糸井がコピーライター絶頂期に、いわゆるサブカルチャー的な妄想?を語ったという感じだ。


 読み始めてみると、中身よりなんだか文体が懐かしい。「~~なのである」という文末が典型的で、自分もそんな感じで書き散らした頃のことが記憶の水面に浮かんでくる状態なのである。これは私の場合、多分に筒井康隆作品に影響を受けたのではないかと思われ、しばし、あまりに青臭い時代に思いを馳せたのである。


 糸井が書いた内容も「ナンセンス文学」的と言えるはずだ。「ナンセンス」の学術的な分析は到底できないが、ここから読みとれる特徴としては、熟語として通用している言葉をわざとカタカナで書いてみたり、表記法によらず発音どおりに書き表したりという点にも表れている。こういう斜に構えた雰囲気が懐かしい。


 とは言っても稀代の言葉操り師である糸井は、すでに昭和の時代に数多くの名言を残している。それはコピーライターとしての仕事以外にもたくさんあったという事実を、この古びた文庫からも読みとれる。いくつか拾ってみよう。とまあ、結局趣味が似ているからこうした言葉が響くだけと、つくづく思うけれど。


 「アイディアマンと呼ばれる人は、アイディアマンと呼ばれてしまう限界を身に備えているのだと思う。」

 「『ない時代』だから『ない』はずだ、などと考えるのは早計である。それは、確かに存在する。『ない時代』は、ちょうど、『真空』というものが『ある』ように、厳粛に存在するものである」

 「ヒネモスとゆーのは、少年期の私が発見した海中生物の名称であって、こいつは、春の海にぽかあんと浮かんで、ただただのたりのたりとしている幸せなやつなのである」