【2015読了】129冊目 ★★
『苦しまない練習』(小池龍之介 小学館)
ベストセラー『考えない練習』を読み、「『考えない』は、よく考えるために」と書いたのはもう五年以上前だ。先日読了した『平常心のレッスン』からの流れもあり読んでみたのだが、なんだかようやく著者の考えが納得できた気がする。それにしても、年越し近くなってこんな本とは、よほど苦しかったのか!オレ。
傍から見てそうは思えないだろうし、自分でも別にそれほどでもなかったとは思うが、些細な苦悩の繰り返しには結構参ることも多かった。たぶん癖だと思ったら、こんな記述が…「『苦しみ』を一度感じると何度もリピートしてしまうのは、苦しむことを心が実は歓迎しているからにほかなりません」、ああと思った。
「不快信号」による「危険回避」という生存本能に根差しているらしい。それがクセになれば苦しさは増すし、ネガティブ思考のパターン化に陥るそうだ。従って苦しみを認めつつ減らすか増やすか…そこに焦点を当てた練習なのである。著者の提案が今回するっと入ったのは、今までの読書の積み重ねもあったろう。
「非難に備える~必ず誰かが、あなたに反感を抱く」
「自己を整える~自分が実践できていないことを、他人に諭さない」
「業を良くする~嫌な思いをするのは、悪業の借金を返す機会」
この三つと共に、具体的に「身体を見つめる」「呼吸を静める」という体の動きを伴う「術」がいい。やってみると少し実感できる気がした。「ブッダにならう」と前置きのある本書は、つまり「今日、今ここ、この瞬間」に集中していく姿勢だろう。もう一つ凄いと思った言葉は、今読んでいる『文藝別冊』と重なり合う。
世の中の人は二つに分けることができるでしょう。
一つは「目覚めている人」であり、もう一つは「まどろんでいる人」です。
『苦しまない練習』(小池龍之介 小学館)
ベストセラー『考えない練習』を読み、「『考えない』は、よく考えるために」と書いたのはもう五年以上前だ。先日読了した『平常心のレッスン』からの流れもあり読んでみたのだが、なんだかようやく著者の考えが納得できた気がする。それにしても、年越し近くなってこんな本とは、よほど苦しかったのか!オレ。
傍から見てそうは思えないだろうし、自分でも別にそれほどでもなかったとは思うが、些細な苦悩の繰り返しには結構参ることも多かった。たぶん癖だと思ったら、こんな記述が…「『苦しみ』を一度感じると何度もリピートしてしまうのは、苦しむことを心が実は歓迎しているからにほかなりません」、ああと思った。
「不快信号」による「危険回避」という生存本能に根差しているらしい。それがクセになれば苦しさは増すし、ネガティブ思考のパターン化に陥るそうだ。従って苦しみを認めつつ減らすか増やすか…そこに焦点を当てた練習なのである。著者の提案が今回するっと入ったのは、今までの読書の積み重ねもあったろう。
「非難に備える~必ず誰かが、あなたに反感を抱く」
「自己を整える~自分が実践できていないことを、他人に諭さない」
「業を良くする~嫌な思いをするのは、悪業の借金を返す機会」
この三つと共に、具体的に「身体を見つめる」「呼吸を静める」という体の動きを伴う「術」がいい。やってみると少し実感できる気がした。「ブッダにならう」と前置きのある本書は、つまり「今日、今ここ、この瞬間」に集中していく姿勢だろう。もう一つ凄いと思った言葉は、今読んでいる『文藝別冊』と重なり合う。
世の中の人は二つに分けることができるでしょう。
一つは「目覚めている人」であり、もう一つは「まどろんでいる人」です。