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フォルトゥナの瞳は持たなくとも

2015年12月21日 | 読書
 【2015読了】125冊目 ★★★
 『フォルトゥナの瞳』(百田尚樹 新潮文庫)


 久々の百田小説。読ませどころを熟知している作家らしく、冒頭から惹き込まれた。途中で若干くどい面も感じたが、土曜から読み始め日曜朝で読了。次ページが待ち遠しく感じられる設定や展開の巧さは相変わらずだ。今回の主人公は「他人の死の運命」を視る力を手に入れた若者だ。…超能力だが欲しくないなあ。


 主人公はその能力に気づき、当初他人の死を回避させようと動くが、そのうちに能力を持つゆえのジレンマに襲われる。この話は「運命は変えられるものか」という不変で解決困難なテーマも底に流れているようだ。また、誰かの些細な言動が見知らぬことに影響するという、日常考えない感覚を引きずりだしてくれる。


 「バタフライ効果」というカオス理論が紹介されている。「たった一匹の蝶々の羽ばたきが何千キロも離れたところの天候に大きな影響をおよぼす」ことを指しているらしい。たとえ話の域を出ないが、スケールが小さければ十分にあり得る話である。もしあの時正直な気持ちを伝えていたら…誰しも考えることである。


 主人公は能力を得て、今までの自らの人生を振り返る。結局幼児期のつらい体験が最終的な結末へと導く形になっている。それほどドラマチックでなくとも、人は誰もが生きてきた経験から逃れることはできないはず。「1日9000回」と言われる選択は、それまでの日々の選択によって狭められていることは確かだろう。


 先日放送された「世にも奇妙な物語」傑作集の『昨日公園』が思い出された。親友の死がどんなシチュエーションに戻っても回避できず、最後は何を一番大切に思うかが問われ…という展開だった。悲しい結末。しかしそれは自分の死を想定したときに、どんなレベルで「後悔」があるかということに収束されていく。