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煌言21~バラバラなままの教育

2016年02月01日 | 読書
☆日本では、「心」ということばを聞いた瞬間に、ほとんどすべての人々が、無条件で「良きもの」、つまり「自分が良いと思っているもの」と錯覚してしまう。実際には各人の自由な思想・信条・良心から、それぞれがバラバラと「心」をもち、バラバラなものを「良い心」と思っていることを考えると、これは極めて危険な状態である。このため、「心の教育の一層の充実」についてはほとんど全員賛成するが、そこで各人が「教育する」と想定している「心」の内容は、当然バラバラなのである。
 岡本 薫『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)


 教育すべき「『心』の内容」について折り合いをつけることが可能なのか。
 ○×で問えば、それは×だ。
 となると、どんな内容を、どの程度まで行うことが、どれだけの支持を根拠に認められるかによって規定されるということか。

 そのことは、この国の歴史と直結しているではないか。
 また、大きな目で見ると、いわゆる文明、文化の発したところ、どこでも共通すると言っていい。
 こう考えていくと、人間社会におけるギリギリのラインは「バラバラであっても他者を認める」となるか。
 これもまた矛盾している。