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「遊び」に市民権を

2016年09月10日 | 読書
Volume20~板坂元のことばシリーズ③

 「遊びは、まだ日本ではちゃんとした市民権を持っておらず、いつも二次的なものとして扱われる。そして、それも手伝って、日本人は上手な遊び方をまだ身につけることができないでいる。」 


 この頃は、ずいぶんと遊び上手な人が増えていると思う。

 それでも、例えば「生産者」と「消費者」という言葉を出してみたとき、どうしても「生産」の方が価値が高いと思ってしまうのは、日本人の性か。
 そもそも、そんなふうに言葉を立ててしまっては解決しないことはわかっている。

 また、「問題は、遊びの質だよ」なんていう言い方をして、どこか建設的であったり、時間の有意義性を求めたりしてしまうことも曲者だ。

 ただ、欧米の(まあそれもある程度のレベル層だと思うが)身についた暮らし方のなかでの遊びと、日本人の多くがイメージする遊びとは、大きな隔たりがあることは確かではないか。
 情報化、国際化が奨める、また進めてきた様々な遊び方でよいのか、と時々思ったりする、まあこんなことしておいてだけれど。



 自分を解放させていく時間や空間を見つけるという意味での「遊び」。
 とにかく、そこをとことん突き詰めていける人が、上手と言えるのだと思った。

 要は行動!なのだが、こんなふうに書き散らしていることも自分には遊びだ。