すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

その声を聞き、その声を刻む

2020年04月26日 | 読書
 先週ネットで見た新聞記事は、さすが五味太郎だなと思った。

 記者が「休校になって、大人も子どもも心が不安定だが」という訊き方をすると、こんなふうに切り返す。

 「それじゃ、逆に聞くけど、コロナの前は安定してた? 居心地はよかった? 普段から感じてる不安が、コロナ問題に移行しているだけじゃないかな。こういう時、いつも『早く元に戻ればいい』って言われがちだけど、じゃあその元は本当に充実してたの?と問うてみたい。」


 五味のように「休校はチャンスだ」という捉え方をする人は、「元に戻る」という意味をしっかり捕まえているのだと思う。
 いったい自分は何をしたいのか、本当はどうあるべきか。それはもしかしたら制限された世の中でも変わらないのかもしれない。



 土曜の新聞に大きく載った女子高校生の記事『女子卓球部主将「声を聞いて…」 総体中止危機、思いつづる』に考えさせられた。

 その子がこう語ったことに、頼もしい気持ちを抱くし、希望も持ちたい。

 「自分たちが生きるこれから先の世界は、どんなときでも、決定を下す人たちがより多くの人の声を聞く世界であってほしい」

 アフターコロナと称される世の中に対する不安がある。
 多くの識者が指摘するように、独裁的な政治への傾斜が強まるのではないか。

 危機的状況回避が思うように進行しないことを理由としながら、そんなふうに権力集中される世の中にしてはいけない。
 そうなった時、少しばかりの知識しかない自分ですら、歴史がどんな道を歩んできたかを知っているから。

 まして今の政権は「より多くの声を聞く」ふりを続けてきたことは自明だし、そこに染められていく同年代や若い人々は増えているように感じる。

 「決定を下す人たち」は選ぶのは、多くの人の声である事実に向き合っていくしか手はない。