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その目標は言霊となるか

2020年04月14日 | 教育ノート
 師と仰ぐ野口芳宏先生から直接聞いたお話には、ずっと心に留まっていることがいくつもある。この時期になると思い出すのは、ある学級目標の文言のことだ。教室前面の掲示には「すべてのことに一生懸命取り組もう」と書かれてあったという。これをご覧になった先生は、言葉が大事にされていないと言い切った。


 「すべて」の意味は当然全部であり、それは人間である以上到底無理なのである。もちろん、提示した担任教師の意図はわかる。常識的な範囲も理解できる。しかしだからといって安易にそうした文言を許すのは、言葉に対する冒涜なのだと師は仰った。問題は行動であり言葉は記号に過ぎないという考えには与しない。


 では、この場合どんな文言を選ぶのか。担任の意図を察すれば「様々なことに対して、手を抜かず、力を出し切って がんばろう」か。どこに焦点があたるかと言えば、きっと「力を出し切る」ことと予想する。それを短く熟語かフレーズで表したらどうか。「全力」だけでもいい。「力一杯」「パワー全開」も面白い。


 仮に「すべてのことに…」をそのまま掲げるなら、細かい砕きが必要だ。具体的には「この『すべて』は何を表すか」「『一生懸命』とはどんな姿を表すか」を子どもへ問い、答えられた言葉を生かしながら補足的なフレーズを決める。「学習も生活も、めあてを持って取り組む」「知恵と工夫を出し合う」などが出るか。


 それにしてもありきたりだ。いや仮によくある語であっても肝心なのは言葉に込める願い、考えだ。機会を捉え、その語に実践、活動を塗りこめていくのが実践だ。そうすることで目標は「言霊」となる…神憑りめいてきたか。何しろ我が日本は「言霊の幸(さき)わう国」。呪われた情報の渦から脱する信念を持て。