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今、冷え切ってはいけない

2020年04月28日 | 読書
 『この国の冷たさの正体』(和田秀樹 朝日新書)は4年前の発刊で、副題をみると、その時代感がよみがえる。曰く「一億総『自己責任』時代を生き抜く」。「一億総活躍社会」と耳障りのいいフレーズの内実は、労働力を増やし消費を拡大させることだったが、ただ格差社会を助長する流れの中で泡のように弾けた。


 結局、働かざる者食うべからずという旧時代的な道徳観に縋っているだけとも思える。むろん教職にあった頃の師の大事な教えの一つに「責任内在論」があり、目の前の現実の受け止め方として自分の言動を誤魔化さないように努めてきたつもりだ。しかし、この国を覆う「自己責任」とは視点が異なっているだろう。


 著者は「自己責任に見えることの大半は自己責任ではない事実」の例をいくつも挙げている。端的に凶悪犯罪者であっても、そこに至った責任が全て個人にあるという論理には無理がある。その点をもっと綿密に精査することの必要性を訴えている。犯人擁護ではなく、高度化した現代社会の闇をもっと照らすべきだ。


 直接的な冷たさを作りだすのは、結果的に私達個々である。従ってそれを誘導し、雰囲気で覆うような存在に早く気づき、俯瞰視できないと、いつまでも加担するばかりになってしまう。まずは政治のあり方がある。さらにマスコミが大きい。特にテレビの力は決定的だ。「正義」をふりかざす輩の多いことに閉口する。


 世界との比較はともあれ、新型コロナ感染においても、感染者へ同情が寄せられる反面、「攻撃」されている例も数多く見られる。そこにあまり根拠のない「自己責任追及」的なニュアンスを感じるのは私だけだろうか。国や自治体レベルの責任検証が全てなくとも、感染し責め立てられる個は自分であったかもしれない。


 著者は精神科医として自己責任論から逃れるためにいくつか処方箋を提示している。『「かくあるべし」思考から脱却する』『「ブレる」人のほうが強い、堂々とブレるべし』等々。宣言下の日常に弱ってきた心身に効きそうだ。生活上の制限は多くとも、日々を生きる主体は自分しかない。まずは報道に振り回されるな。