すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

奴の攻撃,最終章?

2013年03月15日 | 雑記帳
 高校生の時だった。
 通っていた校舎から下ったところにあった皮膚科で、女医さんにこんなふうに言われたのを覚えている。

 「あなたのじんましんは、神経性でしょうね」

 何のアレルギーなのか検査をした後に、特定の食材などでは反応がなかったらしく、そう片づけられたようだ。
 寒冷や圧迫ということもあるのだろうが、「神経性」というその一言が妙に記憶にある。

 当時は「ストレス」なんていう言葉を知っていたかどうかは定かでない。しかし「ああ精神的に弱い男なんだ」という自覚?が芽生えたのは、それが始まりだったかもしれない。

 ということもあり予防意識が強かったせいか、大学に入ってあまりじんましんは出なくなっていた。
 ギターなどを抱えて、のんびりだらりんとした生活をしていたかもしれない。
 貧乏ではあったが優雅な?大学生活で、あんまり身体に異常を来さなくなくてもいい前半だった。

 ところが三年次。教育実習が始まった頃からではなかったか。

 そいつは、胃にきた。

 無理もない。満足な食生活をするべくもないアパート生活。そこに今までとは違う忙しさが加わってきた。
 ああ、神経性はじんましんから胃に移ったか、と思った。

 ストレスからの胃炎、胃潰瘍などは実に平凡だろうし、まあ自分も一般レベルになったかという安心感もあり?この傾向は結婚後しばらく経つまで、比較的長く付き合ったと思う。
 三十代中頃、かかりつけの医師は、胃カメラを覗きながら、こう宣告した。

 「こりゃあ、七十代の胃だな。ひだがない」

 その言葉であっさり煙草を止めてみた。数年後、胃痛の頻度は下がり、ごく一般的になったようだ。

 今でも胃炎などは慢性的だが、結構上手につき合ってきている。

 しかし、胃が収まった辺りから強い肩こりに悩まされることになった。
 ストレスは、胃から肩、背中に攻撃の方向を変えたらしい。

 いつだったか、出張の折に初めてホテルマッサージを呼び、60分コースをしてもらった後、延長したら、そのマッサージ師がこんなことを言った。

 「お客さんのこりは、もう一時間延長しても、ほぐせませんよ。」

 もう降参か。

 いや、最強助っ人、マッサージ機が登場してくれた。

 家の新築に合わせて買ったのでもう十年近く経とうとはしているが、よき相棒になっている。
 もちろんそれでも多少肩こりはするが、それはもはや加齢なのか、体質なのか定かではない。

 攻撃を仕掛けてくる奴…ストレスはどこで眠っている?


 先週末、一週間で一番ゆっくりできる時間帯。
 風呂上がりに一本の電話をうける。

 強いストレスを感じる内容だった。
 土日とずいぶんと気持ちがそちらに流れたが、日頃から修行(笑)をしているせいか、さほどの落胆もなく今週を迎えた。

 順調に仕事をこなした三日目、水曜夕刻。

 突如、そいつは、腸を襲ってきた。

 前兆もなく、また痛みという供も連れないで、激しく丸一日暴れまわった。
 そこにねらいを定めたとは、さすがとしか言いようがない。

 しかしかなりの疲労感、衰弱があっても、全部出し切ったと思えば、希望は見えてくるか。

 身体構造上は、これでオチにしたいが…
 (尾籠な話です)
 奴は、密かに身体に根を残しているに違いない。

意味のない一コマを思い出す

2013年03月13日 | 雑記帳
 今年も卒業を控える六年生に、ちょっとひねった思い出(自分では「思い出のB面」と称している)を書いてもらった。

 「好きな場所」「給食メニュー」「苦手な時間」などに交えて「一番の『ドジ』」も内容に加えているが、質問選択制であり選んだ子も少なく、あまりパッとした、まあ読んでいて面白いドジがない。

 失敗しなくなっているのか、思いだせないだけなのか…。

 小学校時代は、みんなの前で間違ったり、何か失敗をやらかしたりすると、結構素早く反応があり、いつまでもその話題を持ち出されたり、あだ名をつけられたりするものだった。

 この傾向、最近はどうだろう。
 もしかしたら、行き届く「指導」で、未然に防止されているのだろうか。
 間違いや失敗をあまり気にしなくなった、抵抗性の強い子どもができているのだろうか。

 いや小学生は案外残酷で、いつまでもネチネチしている奴もいるから気をつけなくては…。

 本当に些細なことでも、ずっと覚えている出来事はあるもので、私も確か小学校6年の国語のある時間を妙に記憶している。

 音読をするよう指名されたSくんが、ある漢字の前で立ち止まった。

 「花園」

 ほんの少し間をおいて言ったのが「ハナエン」。

 昔の教師はすぐに教えたりしないから「ちがう!」という一言を発し、待ち続けた。

 「ハナ…」「ええーっと、ハナ…」

 Sくんと席が近かった心優しき学級委員長(自分のことだが)は小声でその読みを囁いた。

 「ゾノ、ゾ、ノ」

 ちらっとこちらを見たSくんはにやりと笑い、自信ありげにこう言ったのである。

 「ハナゾエン」


 爆笑が起きた。
 そこまでは覚えている。

 そしてそれからSくんは、悪たれ共から「ハナゾエン」というあだ名で呼ばれるようになった(わけではない)。
 責任の一端を担う私にとって、ホッともしたこともあり、こんな大した意味のない一コマを覚えているのかもしれない。

 今、卒業していく子供たちは、こんな小さな一コマを、数十年後に思い出すだろうか。
 大した意味のない一コマがたくさん集まって、六年間を作っていたとわかるのは、もうしばらくしてからかもしれないね。

問い尽くし,問い疲れ

2013年03月12日 | 雑記帳
 初めて教頭職として赴任した職場で、四月が終わった頃だったろうか、職員の一人にこんなことを言われた記憶がある。

 「先生が来てから、なんだか目的とか本質的なことを考えるようになったけど…」

 半分は誉め言葉のつもりで言ってくれたのだろうが、「ああそうか」と思いあたり、少し恥ずかしいような思いにとらわれたことを覚えている。

 新しく着任した学校では誰しもいろいろなことに戸惑うものだが、そんな勢いに任せて「どうしてこれをやるの?」「これって何のためにあることなのかなあ」などと連発していたからだろう。
 当然もう若くもない年齢に達していたのに、そんな問いを繰り返して,仕事を滞らせたのだろう。
 全く無駄だったとは言わないが、年度初めのスムーズな進行には支障をきたしただろうな…もう15年も前の話になってしまった。

 そんな昔のやや苦い思いがふとよみがえってきたのは、つい最近の職員会議でのこと。

 年度末反省の場でいろいろな意見が出て、ある生徒指導上の案件で今までやっていた方法を変えようということになった。
 細かい運営上の方法や問題等には原則的に口を挟まないようにしているので、うんうんと頷き、そして口から出たのは、次のような言葉だった。

 「これは~~~だから、こういうふうに変えて、そして~~~~ということを目指して、~~~するんだよね。」

 いわば、意味づける言葉が自然に出ていた。

 そういえば、最近こんなパターンが多いなあ…これでいいんだよね。

 と、そんなふうに自分自身を納得させようとしたときに思い出した。

 はたしてこの今の自分は、問いを言い尽くした姿なのか、はたまた問いに疲れただけの姿か。

手離せない責任感とは

2013年03月11日 | 読書
 ある雑誌別冊に載っていた大前研一氏の「21世紀型子育てのすすめ」という文章が興味深かった。

 ビジネスマン向けの雑誌であれば、何度も目にしている著者の文章だが、題名から想像できるように一般向け、主婦層向けのような雑誌なので、それらとは違う内容・視点があった。

 子どもには、小さい頃から「責任感」というものを徹底して教えました。

 この頃、なんとなく「責任」という言葉が教育の場で薄くなっているような気がするのは自分だけだろうか。
 教員・職員に対してその「責任」は益々強調されているのに、対子どもという面であまりその言葉が表面化されない。
 この言葉の重みが今の教育風潮にそぐわなくなっているのか。逆に大人の世界では、それがどんどん重くなっている現実があり、このギャップは小1や中1とはレベルが明らか違うのに…そんなことを感じてしまった。

 大前氏は「4つの責任」といい、「自分の人生」「会社」「社会」家族」をその対象としている。
 自らもそういう問いかけを自分の子どもにしてきたようだ。ドロップアウトをし続けた次男のことについても一項設けてその歴史を語っているが、「何がやりたいのか」を徹底して話し合い、突きつめて考えさせていく姿勢はなるほどと思う。

 が同時に結果的にそれだけの経済的な基盤を氏が築いていることが、重要な条件であろうなという予想もわく。
 これは貧乏人のやっかみみたいな部分もあるが、経済格差と考え方の格差の絡み合いであり、論理的にはわかってもすっきり得心いかない部分だ。

 氏の文科省の教育方針、カリキュラム批判は以前から知っている。
 エリート教育の推進と括っていいかどうかわからないが、いずれ「突出した個人」を作ることにシフトするべきだという論である。
 もっともだなと感じる部分と、こういう論議のもっていきどころがあまりにも混沌としていて、つかみどころがないように思う。


 さて、大前氏はこんなことも書いている。

 教育は地域に任せたほうがいいんです。

 本来、そうあってしかるべき教育委員会制度も、なぜそんなふうに機能できないのか、まずそれこそ問われるべきだろう。
 一種のブラックボックス化だし、教育以外の分野においても似たようなことが進行しているように思う。
 これは複雑をきわめる現代社会のなかの個人が、思考停止という手段である意味自分を防御している姿とは言えまいか。
 それゆえ、リーダー、パイオニアたる者の役割は重い。

 「B層」とか「衆愚的日本人」とか名づけて、突き離すことも一つの戦略だけれども、要は「自分で考え、行動する日本人」の育成を目指して、具体的にどんなアプローチをしていくのかが問題だろう。
 大前氏は、人材育成に力を注ぐと明言してはいる。その方向と焦点化はどのあたりにあるのだろう。

 いつも語る国際競争力の重視と、教育の地方分権化は、相容れない考えではないかもしれない。
 しかし、大胆な構造改革による多数の意識変革や、もしくはよほどきめ細かい政策推進がないと、安定した形での両立は難しいだろう。
 それらをやりきるリーダーとはいかなる者か。それもこれも、個の「責任」という決着のさせ方をするつもりではないと思うのだけれど…。


 前にもどって「責任感」という言葉をちょっと考えてみた。
 すると、その「任」とは何か、ということに目が向いた。
 対象がそれぞれある「任」のなかみを規定するのはなんだろう。

 法律のレベル、モラルのレベル、そして、自己凝視。

 手離せない責任感の範囲をめぐって、人はいつも揺れている。

学んだことを風化させない

2013年03月10日 | 雑記帳
 昨日,一昨日と二日続けて、近隣の学校の卒業式に参列した。

 金曜日は近くにある養護学校だった。
 交流を続けているので、小学部卒業生の顔と名前は一致しているし、多少予想がつくこともあったが、やはり見ている自分が緊張感を持って見ていることを終わった後の肩のはりで感じた。

 さて、式の始まる前に進行係の先生がおっしゃられた一言が少し心に沁みた。
 何気ない、ごく普通の言葉なのに、である。

 時間制約の中で、何を言うべきかは考えが分かれるだろう。
 普通学校であれば、始まる前に何点かの注意や了解を得たいことなど口にするのが常である。
 今回、進行の先生が全体に促した注意はたった一つ。

 「緊急の場合は、職員が誘導いたします」

 の一言だけだった。

 ううん、なるほど。
 おそらくこれは一昨年からなのだろうな、と思い、あの年のことがよみがえってきた。

 あんなに緊張の中で迎え、頭をフル回転させながら卒業式を過ごしたことはなかったように思う。自分のブログを検索してみた。
 

 本来ならば当然意識されていなければいけないことに違いないが、多くの人にとってその優先順位は低かった。

 そして私達は学んだ。
 非常口の確認。
 事前注意があったとしても、ありうるかもしれない災害だと思っても、人はあわててしまうこと。
 そしてその中で声をかけ合って励ますことの大事さ。
 役目の分担を速やかに行うこと。
 最初の危機を切り抜けたら次のイメージを持って行動することなど。

 これらを地震後に何度かシュミレーションしたから、ある程度は身についているはずだ。

 しかし、また時は経った。
 記憶を風化させないためにも、もう一度見直してみたり、書き出してみたりすることが必要だ。

 忘れられない日が近づいている。

『教師力ピラミッド』をたずねてみる③

2013年03月08日 | 読書
 『教師力ピラミッド』(堀裕嗣 明治図書)その3

 第7章「先見性・創造性」は、ピラミッドの最も上部にある。
 礎の部分と、その上のいわば実務的な力に加え、もう一段教職を深めるための心がけであるし、指導力・事務力を一層伸ばす手立てでもある。

 内容としては、下部にある力と地続きであろう前半と、情報収集の具体策である後半に分かれる気がする。
 前半(小さな変化への敏感さ、即時対応、華のある行事)を「先見性・創造性」と呼ぶことに、この仕事の地道さが見えるし、結局現場にある子どもを対象にして力量形成することを繰り返し強調している。
 後半は、最終の「仲間をもとう、人とつながろう」に尽きるし、そこでの刺激が視野を広くしていくきっかけになることは、多くの実践者が語っている。
 そこを踏み出せれば、この本に書かれた内容の習得率が高くなるはずだし、より多彩な教師との交流のなかで自分磨きも一層進むにちがいない。

 それゆえ?その一歩が難しい。
 例えばこの本を購入した多くの方は、何らかのつながりによって本著を求めたのだろうか。ネットや書店で孤独に(笑)手を伸ばしたのだろうか。そんなことが気になったりする。


 この著の核が第八章にある。
 学校の職員集団がチームとなって、この教師力ピラミッドを構築して、この困難な時代を乗り切ろうということが主眼だ。
 チーム力という意識がピラミッド全体を機能させていくといってもよいか。
 納得の結論である。

 古くから「持ち味を生かす」という言葉が使われることがあった。
 今の立場になったときにも、そのことは年度当初ずいぶんと強調してきたように思う。小規模の学校が多かったので限られてはいるが、人員配置に気は配った。一種のブリコラージュ的なことだったかもしれない。
 さて、この著を読み、以前と同じ状況に置かれて、何か違うことができるだろうかと考えてみたとき、選択の範囲があまりにも狭い現実だなあと思わざるをえない。

 今「チーム○○(団体名など)」という言葉がよく使われている。穿った見方になるが、それによって一体感だけが強調される場合もありはしないか。一律的な多くのことを要求されて、それをこなしていくのに汲々としている状態は、けして今後求められる「チーム」でも「力」でもない気がする。
 真の「チーム力」は、均しの思想ではなく、組み合わせの思想だと思う。堀さんが言っていることとも大きな違いはないだろう。

 小規模な小学校という現状を改めて考えると、個々の教師の持っているピラミッドを質的に成長させながら、歪な部分を認めつつ、バランスよい方向を目指していくことになるのではないか。
 そして、単体をどう絡ませ、組み合わせて、全体像を作り上げるか…自分にとって頭の痛い季節がやってくる。

 副題「毎日の仕事を劇的に変える40の鉄則」に照らせば、「仕事が劇的に」変わったとはとても言えないが、間違いなく年度末、年度当初の仕事をつくる観点の一つにはなった。
 その意味では、管理職必見の著として推したい。(了)

『教師力ピラミッド』をたずねてみる②

2013年03月07日 | 読書
 『教師力ピラミッド』(堀裕嗣 明治図書)その2

 第三章から第五章がこの本の中心とも言えるだろう。全ページの三分の一にあたる50ページが割かれている。

 読み進むにつれて、「あれあれっ……いやいや、そうだった、そうだった」となった。

 「友人型」「母性型」「父性型」と示されると、なんとなく教師のタイプの違いだけと捉えられがちだが、ここはあくまで「○○型指導」ということだ。

 つまり「友人型指導」を手始めに身につけ、次第に「母性」「父性」に移行していくという想定である。
 自己のキャラクターや経験に応じて、指導力の型が変容していくという面と、その学校や職員集団に合わせた形で個々の教員がどの型を強く出していくかという二面性がある。
 最終的に著者のいう「チームビルディング」的な発想は、その両面から構成されていくことになろう。


 ここまで読み進むと、当然ながらこれは中学校の現場によりマッチする考え方だなと思う。
 小学校における学級担任制、特に私の住む県に多く見られる、担任外教員も少ない小規模校をイメージしたとき、そのまま当てはめることは難しい。

 個人内の力量形成の面においては、小学校教員であっても友人型からの出発が妥当なのかもしれない。
 しかし担任として同じ子どもに接する時間がほとんどである場合、それだけで通すことはできないし、本質的に母性、父性も合せて持つバランスが大切と言えるだろう。
 むろん、個々の教員の性格、キャラクター、そして学年段階、学級集団の実態によって、それらの比率が決定されることになるだろう。

 私が知っている分類には「ガキ大将型」「黒子型」があるが、これにしたって使い分けが肝要である。
 そこに視点を当てると,この著の指導力の一つ一つの項目立ては、自分の学級経営や生徒指導に生かす場合のいいチェック項目になるし、強みや弱み(要改善事項)を顕在化させるラインナップになっている。


 第六章「事務力」の三つの要素を「教務力」「研究力」「緻密性」としたのはさすがである。
 「事務」という言葉から現場教員のうけるイメージは、面倒なこと、教育活動とかけ離れていること、できればあまりやりたくないこと…が大半だと思うのだが、ここでは研究、教務と、現実的に教育が事務と密接に結びつく場面を取り上げて、意識化させる。
 教員個々の提出物等にみる事務能力、姿勢を見ていれば、教育実践の質とかなりの部分で相関関係があると考えるのは、私だけでないだろう。

 選択・注意・処理・評価・計画…事務仕事で発揮される能力は授業でも生きる。

 と、こで唐突のように「授業」と出したのは、この著にない「授業力」はどこへいったかということに触れようとしたからだ。
 教師力を取り上げながら、授業のことにふれないというのは変ではないか。
 最初そうは考えてみたが「それはまた別のお話」という具合にすっぱり引っ込めて組み立てたことで、かなりすっきりしている。

 ただ、教師としての最重要業務ともいうべき「授業」および「授業づくり」をがっちりと支えるのは、ここでいう指導力や事務力であることは、現場の教員なら誰しもわかるだろう。

『教師力ピラミッド』をたずねてみる①

2013年03月06日 | 読書
 通勤鞄の中に入れてもうひと月過ぎただろうか。
 十分気になりながらも、なぜか入れっぱなしのあの本をとうとうめくってみた。

 『教師力ピラミッド』(堀裕嗣 明治図書)
 

 売れているらしいが、もちろん「初版」である。
 堀さんのブログ愛読者なので、この考え方についてはある程度の知識は持っていた。
 一冊の本としてまとまった形で読むことはまた違う学びなので、少しずつ感想を記してみたい。

 まず「教師力」という言葉である。
 そもそも「○○力」という表現は数知れずあるが、仕事や職業を○○としたものは少ないのではないか、と思う。
 同じ「○師」であっても「牧師力」「医師力」「漁師力」「調理師力」「看護師力」…聞いたことがない。
 それでは、なぜこの言葉が流布されたのか。
 著者はこう書いている。

 「教師力」などという言葉が流行するということは、多くの教師が教師としての仕事をしていくだけの力量を具えていないという批判的言説が、世論の中にはびこっているということを意味します。


 「教育は人なり」という格言?を持ち出すまでもなく、制度や環境等以上に直接の担当者としての教師が注目されるのは言うまでもない。
 政治や社会の変化がどうであれ、教育の直接の責任者として教師は見られ、評価され続けるのである。
 まずは、この自覚が必要だということから、この著はスタートしている。

 クレームのパターンから導き出した4つの要素の配置に異論はない。

 第2章には冒頭にこんな表現がある。

 基本的モラルと生活モラルをもつことが教師の基盤です。

 まったくその通りであるが、ここは「教師」を「社会人」や別の職業を換えても通用するだろうと単純に思う。
 ただし、第2章を読んでいくと、この内容が広範囲で、何でも屋的かつ世渡り感覚の重視であることがわかる。

 それは、学校・教室自体が一つの独特な社会であり、児童生徒といういわば未熟な集団を対象としながら、学校独特の職場文化を持ち、その中で保護者や周囲の社会とすり合わせながら進めるという特殊性(いや使命と言うべきか)が強い環境への適応のために、そうならざるを得ないということか。

 不器用だし、きわめて興味の範囲が狭い自分などは、求められることが多岐にわたると、もうそれだけで萎えてしまいそうだ。
 好奇心や積極性、上達志向などが高い人に有利に思える資質だ。
 しかし、ここは明らかに礎の部分。強調されている個のキャラクター以前に心身に叩き込みたい要素なのだ。

 それをどこで養うのかという問題は結構根深いが、現場にいる者としては、現場で培う面が大きいという受け止め方をしたい。

 工夫されたレイアウト、柔らかく読みやすい文体の中で、著者はそれをきっちり主張している。

新たな戦いの始まりの日

2013年03月05日 | 雑記帳
 いつものことながら早い目覚めなので、そのまま少し式辞のことを考える。まずまずの流れを思いつき、おもむろに起きだした。

 ネットのチェックをしてみると、昨日ブログにアップした「体罰」話題に珍しくコメントが。
 ああこういう見方も確かにあるだろうな、広範囲に見渡してみる大切さを感じる。

 朝風呂、昨日から読みだした新刊書はもう少しで読了できる。

 いつも通りの時間帯に出勤。定刻に街頭指導にいく。

 空から降ってくる鳴き声に耳を傾ける。
 コハクチョウだろうか。北帰行する群れがとても多い朝だ。
 わずか30分間のうちに、目にとまった編隊を数えると、14もあったことにびっくりした。
 職員室にもどり、「今日は特異日なのかな。渡り鳥にもそんな日があるのかな」などと話したら、見たことのない大群を今朝目にしたという声も上がった。

 積雪の高さはかつてないほどで、朝も雪もちらついてはいたが、確実に春に向かっているのだろう。

 今日は「六年生ありがとう集会」が、3,4校時に開かれた。
 もちろん主役は六年生に違いないが、多くの学校でもそうであるように、会を仕切る五年生の活躍が新鮮で、この後の年度替りに思いが馳せる日でもある。
 終了後、ホームページに新ページをつくり、アップした。
 
 昨年より遅い気がするが、卒業式の式辞の構想に入った。
 朝方のベッド内構想があったてので、案外スムーズにキーボードは動く。
 ずっと基本形と考えて続けていた構成を、今年は変えてみようと決めた。もちろん礼を失することは避けるが、一番の対象者である卒業生に最初から呼びかけてみたい。

 年度最後の全校集会が明後日である。
 「挨拶が仕事」などと書きながらも、以前やったネタに頼ろうとしている自分がいて苦笑いである。
 最初は今日が「啓蟄」なので,虫という漢字の成り立ちからから蛇,蛇から冬眠、そして春の準備みたいな流れを思いついたが,どうもしっくりこない。
 そこで、持ちネタ検索となり、「返事」を取り上げることにした。
 時期的にはぴったりだし、まあいいかと妥協する。

 昨年と一昨年の記録に目を通すと、もはや今日には卒業証書の氏名書きを終えていた。
 旧バージョンの自分は、なかなかの仕事師だな(笑)。少しあせりが出てきたが、それは明日以降だ。

 放課後は、短時間ながら昨日出来なかった職員との面談を行う。
 ふだんから話はしているつもりだが,改まって聴くとまた違う視点があり、幅が広がる。そうやって少しずつ、新年度構想を形づくりたい。


 今年も「誕生日休暇(自称)」をとれなかった一日。
 それでも春が近くなってくる時期というのは、いいなあと感じた…

 とここで終わろうと思ったが,退勤車中でわずかな異変を目の辺りに感じた。

 花粉だ。

 そういえば、新聞に予報が載り始めた。

 新たな戦いの始まりの日となった。

うっすらとした悲しみを和らげるために

2013年03月04日 | 読書
 『総合教育技術』誌に連載されている野口芳宏先生が、今年度最後のテーマとして取り上げたのは「体罰」のことである。
 「『体罰』評価の来し方・行く末」と題された論考は、五つの項目立てがされていた。

 1 「体罰」とは何か
 2 印象的な昔の「体罰」2例
 3 「体罰」肯定論、抄録
 4 「体罰即絶対悪」の世相
 5 現今とこれからの時代の「体罰」


 先生の講座に繰り返し参加されている方々であれば、そのお考えの大体については理解なさっていることと思う。
 さて今回、先生が5で結ばれた文章は次の通りである。

 「体罰」は、もはや今の時代に合わない。やったら免職、笑われて終わりである。変化する社会に合わせていかなければならない。


 この結びは、まさしくその通りである。異論はなに一つない。
 ただ、私のその文章理解には、うっすらと悲しい感情が覆いかぶさっていたことを正直に白状しよう。

 私自身、教育雑誌にもメールマガジンにも「叱りの成立」と題して、体罰との決別について記した文章を出しているし、けして体罰を容認したり、肯定したりするわけではない。
 
 しかし、結局「伝わるのはエネルギー」という自論の展開のなかに「情動」という部分は切り離せないし、その行動化に大きな制限がかけられることの是非は、簡単に結論が出せないように思う。
 教育の関係性と権威行使の限界、教育における身体感覚の重要性、教育と恐怖の関係など、いくつか根本的に考えてみるべき点があるのではないか。

 野口先生が、ある学者に尋ねた折に「体罰については専ら法律論でしか語られなくなってしまった。体罰についての教育論はすっかり影を潜めてしまった」と返答があったことを紹介されているが、その状況がすべてを物語っているように感じる。

 教育と法律について、論ずるほどの知識は持ち合わせていない。
 ただ、歴史的に法律で禁ぜられていても「懲戒」としての体罰が有用であったと多くに支持されていた時期はあったはずだ。
 先生もこんなふうに書かれている。

 子どもも、親も、社会も、時代も、それらを「受け入れる」ことによって奏効していたのだと、私は考えている。


 ともあれ今は、時代も、社会も、親も、子どもも体罰を「受け入れる」ことはあり得ない。
 それは熱意のある教員が例えば突発的、偶発的、不可避的に働いた些細な身体的な行為であっても、「体罰」という言葉によって裁断されれば、教育的意味を亡くし、対象者に自省とは正反対の思考、感情を引き起こさせる。
 それはまた双方に「学習」される。

 「変化する社会」の内実を、そういう場面の繰り返しが担っていくことは確かだろう。
 いかなる信念も熱意も、受け入れられなければ、役には立たない。
 しかし、受け入れられることだけを念頭において自らの気持ちを裏切り続けることは避けたい。

 「合わせていかなければならない」なかみや方法は多様だと解釈しよう。

 硬か軟か、剛か柔か、といったステレオタイプの考えではなく、幅広い視野を持とうと決意すれば、悲しみもまた少し和らぐ気がする。