ニーナというのは、西洋人女性の名前ではなく、煮た菜っ葉のことで、つまり煮菜なのだけれど、ここらではニーナと言う。
子どもの頃は、どんぶり鉢にテンコ盛りのニーナがしょっちゅう食卓に上り『またニーナか』と口には出さなかったものの不満だった。
『今日は何ゴッツォダイ?』とヒトから聞かれれば、ここらでは食事の貧しさを表す表現として自嘲気味に『ニーナだこてぇ』と応えるのが王道。
私の最近の課題の一つが間引き菜をどうやって食べるかだ。
初めの間引き菜は味噌汁の具にしたけれど、育って来たこの頃のはどうしたらさばけるかと考えて、思いつくのはやはりニーナ。
『ニーナ』と外国ドラマなんかで呼ぶシーンがあれば、この辺りの人はきっとほぼ確実に最初は煮菜を思い起こすはず。
こんなに食えるかという量でもニーナにすれば空気が抜けたようにしぼむはずで、とりあえずザク切りにしてやってみた。
手順も調味料も適当に、多少は経験を積んだことの直感で味見もせずにやっつけたら、汁が多すぎた。
これを煮詰めたら濃くなりそうなので火を止めて、昔からある丼鉢に入れてみたが、ここまで縮むかという位に少ない。
昔の母親の味ではなく、かなり薄味の汁は絶妙に旨い。
昔は自作の味噌だったし、自作しなくなってからも出汁入りのような味噌ではなかったはずなので、そこが違う。
それにしてもテンコ盛りだったのは、どれほどの量を煮ていたのかと、母の台所姿を想ったりする。
お盆に載っているのは、お隣から彼岸の料理として頂いた栗おこわと麹漬けナス。
一旦仏壇にあげてから、すぐにお下がりをいただくと、さすがに元管理栄養士の味。
最後の画像は、いつも車で通る農道脇に咲いていた彼岸花。
ウチも赤いのだけいつもの場所に10数本咲いている。