和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

諺の代り。

2007-08-01 | Weblog
柳田國男の「ことわざの話」に、こんな箇所があります。
それは、「諺」と「題名をつける」との共通点を指摘しているのでした。
その前後を引用してみます。

「・・・なるだけ丁寧に相手が満足するまで、説明した方がよいということになるかも知れませんが、そんなことばかりもしてをられない場合が、実際はまだ多いのであります。他にも為事があって急いでいる時、お互いに気持ちがわかっていて詳しい話をするに及ばぬ時、または感情がもつれて気を転ずる必要のある時、それからぜひとも覚えていて、つぎの人へもいってもらひたいことがある時などは、今でもわざわざ標語といって、強い短い文句を用意して置いて、それを使おうとするのであります。
演説や講演に演題というものがあり、詩でも小説でも皆似つかわしい題をつけているのも、多くは以前使っていた諺の代りであります。
それだのに諺は、いつも学問のある人に軽蔑されていました。諺を使って話をするのを下品なようにいう人がありました。・・・」


そういえば、週刊誌の記事に題名をつける齋藤十一氏(このブログで紹介しました。2007年6月8日)。それに、山本夏彦氏の題名のつけかたなどを思い浮かべるわけです。

ここでは河合隼雄についてとりあげます。

読売新聞2006年11月10日「よみうり寸評」。
はじまりは
「河合隼雄さんの著【こころの処方箋】を読むといつもほっとする。何度読み返しても、改めてふむふむとうなずける。ありがたい。その秘密は何だろう。最初の章の題が何と【人の心などがわかるはずがない】。・・・」

コラムの真ん中を飛ばして、そそくさと後半を引用します。

「各章の題をやはり呪文のように唱えるだけでも、心がおさまる。納得したり、楽になったりする。
  『ふたつよいことさてないものよ』
  『心のなかの自然破壊を防ごう』
  『100%正しい忠告はまず役に立たない』
  『耐えるだけが精神力ではない』
  『心の中の勝負は51対49のことが多い』
  『マジメも休み休み言え』
一見、非常識な題でも読めば常識豊かな内容。・・・」

現在読売新聞夕刊をとっていないので、一面コラム「よみうり寸評」を読んでいません。残念なのですが、それはそれとして、気になるコラム子が「読むといつもほっとする」というのです。河合隼雄氏の題名のつけ方を、あらてめて注目したくなるではありませんか。
コメント
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