柳田國男の「ことわざの話」に、
「為事の楽しみと苦しみ、その計画の上手下手、または成功と失敗等については、殊に何度でも人を笑わせるやうな、うまい文句がたくさんにあるのです」
として列挙されている諺に、こんなのがありました。
始め半分。(始めるといふことが為事の半分にあたる。)
朝油断の夕かがみ。(朝のうち勉強せぬと夕方にへこたれる。)
うん。これなど夏休みの計画にあたって、役立ちそうな文句ではありませんか(笑)。
もう8月にはいりました。すぐに夏も半分過ぎてしまいそうです。
というとこで「始め半分」をここに取り上げてみます。
渡部昇一著「学ぶためのヒント」(祥伝社黄金文庫・650)。
その第五章は「英語のことわざに学ぶ」とありまして。
短い英語の諺を題名にして、それについてのエッセイをつけております。
そこに[ Well begun is half done.]「始めがうまく行けば半分できたも同然」という文句を題にして、渡部氏の文章が続く箇所があるのでした。
そこから引用してみます。
「・・始めがいいと、そのことはもう半分やったようなものだということなんですが、これはよく我々も経験することだと思うのです。たとえば、夏休みの初めに勉強の計画を立てる。ひと月以上もあるのだからというので最初の一週間、ぶらぶらっとしてしまうと、それからが大変なのですね。何もこれということをやる前に休みが終わってしまった、というようなことになります。ところが、始めから計画を立てて、朝四時に起きるとか何かきちっとやって始めてしまうと、後でいろんな事故が起こったりして、それがその通りできないことがあっても計画の半分ぐらいはできる、あるいは三分の二ぐらいはできるということになると思うのです。また、学期の始まり、勉強の始まりの時も同じで、新しい決心なしに何となく始まったのと、今学期は、あるいは今学年は思う存分やろうと思って計画的に決意を持って臨んだのとは、随分違うと思うんです。そして、そういう始めの時の決心というものは、あるいは計画というものは、決してその通りいかないものだということも知っておいてよいでしょう。始まる前の決心は、やっているうちにこれは厳しすぎるとわかったら少し下げることも常識的に必要かもしれません。しかし、何となくぶらぶらっと始まったのとしっかり始まったのとでは、全然結果が違うのです。」
この後に江戸時代の人・柴野栗山(しばのりつざん)の言葉をとりあげておりました。そして「始めがうまく行けば半分できたも同然」という文は、文庫で4ページほどでした。
ついでですから、有朋堂の藤井乙男編「諺語大辞典」(昭和29年復刊第三版)を開いてみました。それも引用しておきます。
【始半分】 事を始むれば、既に功の半分なりとの意。相馬地方の諺。
始ガ大事の條参照。
【始ガ大事】何事も最初を謹むべし。・・
この辞典には英語からの引用もついておりました。
The beginning is half of whole.―― Hesiod.
Well begun is half done.
この【始半分】というのは、何なのだろうと、私は愚考するわけです。
人生の始め半分の時期にいる人たちに、この諺が果たして通じるのだろうかと。
ということで、人生の後半に思い至るわけなのでして、
「人生後半に読むべき本」(PHP研究所)で渡部昇一氏が谷沢永一氏にこう語りかけている言葉が、直接関係ないかもしれないですが、ふと思い浮かんだりするのでした。
「 谷沢先生はフランスのモラリストのものがお好きでしたね。
モラリスト的なものに興味があるから文科系に来る
というのが文科系の人間として正当ではないですか。 」(p69)
それでは、モラリストと諺とを、つきあわせると
私には松井高志著「人生に効く!話芸のきまり文句」(平凡社新書)が思い浮かんだりします。その松井さんの新書の帯には「読めば、みるみる『人間通』!」とあります。う~ん、そういえば「人間通」という題名の本がありました。
「為事の楽しみと苦しみ、その計画の上手下手、または成功と失敗等については、殊に何度でも人を笑わせるやうな、うまい文句がたくさんにあるのです」
として列挙されている諺に、こんなのがありました。
始め半分。(始めるといふことが為事の半分にあたる。)
朝油断の夕かがみ。(朝のうち勉強せぬと夕方にへこたれる。)
うん。これなど夏休みの計画にあたって、役立ちそうな文句ではありませんか(笑)。
もう8月にはいりました。すぐに夏も半分過ぎてしまいそうです。
というとこで「始め半分」をここに取り上げてみます。
渡部昇一著「学ぶためのヒント」(祥伝社黄金文庫・650)。
その第五章は「英語のことわざに学ぶ」とありまして。
短い英語の諺を題名にして、それについてのエッセイをつけております。
そこに[ Well begun is half done.]「始めがうまく行けば半分できたも同然」という文句を題にして、渡部氏の文章が続く箇所があるのでした。
そこから引用してみます。
「・・始めがいいと、そのことはもう半分やったようなものだということなんですが、これはよく我々も経験することだと思うのです。たとえば、夏休みの初めに勉強の計画を立てる。ひと月以上もあるのだからというので最初の一週間、ぶらぶらっとしてしまうと、それからが大変なのですね。何もこれということをやる前に休みが終わってしまった、というようなことになります。ところが、始めから計画を立てて、朝四時に起きるとか何かきちっとやって始めてしまうと、後でいろんな事故が起こったりして、それがその通りできないことがあっても計画の半分ぐらいはできる、あるいは三分の二ぐらいはできるということになると思うのです。また、学期の始まり、勉強の始まりの時も同じで、新しい決心なしに何となく始まったのと、今学期は、あるいは今学年は思う存分やろうと思って計画的に決意を持って臨んだのとは、随分違うと思うんです。そして、そういう始めの時の決心というものは、あるいは計画というものは、決してその通りいかないものだということも知っておいてよいでしょう。始まる前の決心は、やっているうちにこれは厳しすぎるとわかったら少し下げることも常識的に必要かもしれません。しかし、何となくぶらぶらっと始まったのとしっかり始まったのとでは、全然結果が違うのです。」
この後に江戸時代の人・柴野栗山(しばのりつざん)の言葉をとりあげておりました。そして「始めがうまく行けば半分できたも同然」という文は、文庫で4ページほどでした。
ついでですから、有朋堂の藤井乙男編「諺語大辞典」(昭和29年復刊第三版)を開いてみました。それも引用しておきます。
【始半分】 事を始むれば、既に功の半分なりとの意。相馬地方の諺。
始ガ大事の條参照。
【始ガ大事】何事も最初を謹むべし。・・
この辞典には英語からの引用もついておりました。
The beginning is half of whole.―― Hesiod.
Well begun is half done.
この【始半分】というのは、何なのだろうと、私は愚考するわけです。
人生の始め半分の時期にいる人たちに、この諺が果たして通じるのだろうかと。
ということで、人生の後半に思い至るわけなのでして、
「人生後半に読むべき本」(PHP研究所)で渡部昇一氏が谷沢永一氏にこう語りかけている言葉が、直接関係ないかもしれないですが、ふと思い浮かんだりするのでした。
「 谷沢先生はフランスのモラリストのものがお好きでしたね。
モラリスト的なものに興味があるから文科系に来る
というのが文科系の人間として正当ではないですか。 」(p69)
それでは、モラリストと諺とを、つきあわせると
私には松井高志著「人生に効く!話芸のきまり文句」(平凡社新書)が思い浮かんだりします。その松井さんの新書の帯には「読めば、みるみる『人間通』!」とあります。う~ん、そういえば「人間通」という題名の本がありました。