「久世光彦の世界」(柏書房・2007年3月)の最後には、久世光彦詞華集が載っております。題して「久世光彦詞華集 ―― 久世さんの愛した作品」。それを並べてみます。
小沼丹 村のエトランジエ
向田邦子 かわうそ
内田百 サラサーテの盤
川端康成 雪
太宰治 満願
江戸川乱歩 押絵と旅する男
野溝七生子 往来
松井邦雄 悪夢のオルゴール(抄)
渡辺温 可哀想な姉
この小説の後に、詩があります。
大木惇夫 戦友別盃の歌
北原白秋 秋の日 紺屋のおろく
中原中也 朝の歌 雪の宵
西條八十 空の羊 蝶
三好達治 乳母車 少年
佐藤春夫 少年の日 海辺の窓 秋刀魚の歌
伊東静雄 八月の石にすがりて 水中花
久保田万太郎 湯豆腐
そして、最後に劇画。
上村一夫 鶏頭の花
(小説は、私は駄目なので、ここでは詩について)
この冊子の題名は「久世光彦の世界 昭和の幻景」となっております。
ちなみに責任編集は、川本三郎・齋藤慎爾のお二人。
追悼特集というよりも、題名そのままに、内容がつまった一冊。
そのなかに、齋藤慎爾・久世光彦対談「詩歌の潮流」がありました。
それを読んで感銘を覚えたので引用しておきます。
【久世】・・なんであれ、人に「いい」と言われて読んで、よかったことはないね。やはり自分で発見したものしか信用しないから。それで、この人はこんなにいいんだから世間でも有名なんだろうと思って聞くと、そうでもないということがよくあります。でも、僕はそれでちっともかまわない。
こうして語られてゆく対談で、アンソロジーについての話題も出てきます。
【久世】・・大木惇夫さんはいまだにアンソロジーにも入りませんねえ。
【齋藤】かつて戦犯ということで追放されて、今日まで復活されない。久世さんくらいでしょう、復活させようとしているのは。
【久世】いえ。深田祐介、森繁久弥とか崇拝している人はいくらもいますけれど、アンソロジーにも入れないのはなんでかなあ。(p211)
対談では、久世さんご自身の本「マイ・ラスト・ソング」に触れてます(ちなみに、その本は谷沢永一著「いつ、何を読むか」(KKロングセラーズ)の中では、70歳への推薦図書として取り上げられていたなあ)。では、対談から引用してみます。
【齋藤】久世さんの「マイ・ラスト・ソング」、「あなたは最後に何を聴きたいか」ということで、「諸君」にずっと連載をしておられますが、もう何冊か本になっている。
【久世】三冊か四冊じゃないかな。たいへんな回数だ。
【齋藤】最後に選ぶ曲は変わっていくでしょう。
【久世】そりゃあ変わりますよ。ただ、「諸君」という雑誌の読者が高年齢層だから、あまり新しいのはどうも。せいぜい七十年代のフォークが限界じゃないかなあ。新しい歌をやるとあまり評判がよくないんです。これは短歌や俳句ともどこかでリンクするのかもしれないけれど、<歌>というものに対していかに多くの人がいかにたいへんな執着を持っているか。僕はいろいろな連載をやっていますけれど、いちばんたくさん手紙が来るのがあれなんです。・・・・「戦友別盃の歌」を取り上げたときのリアクションもそういうのが多かったですよ。学徒出陣で出て行った青年たちに大木惇夫を愛唱していた人が多いんです。『海原にありて歌へる』に載っているんですが、戦死した兄が出陣のときにそれを持って行ったとか、そういう人がたくさんいたみたい。戦場に持って行った本のベストスリーに折口信夫の『死者の書』と並んでこれも入っているんですよ。そのころの学生にいかに読まれていたか。」(p213)
伊東静雄の詩が、久世光彦さんのアンソロジーに載っているということで、書こうと思ったら、だいぶズレてしまいました。当たらずといえども遠からず(笑)。それよりも、この対談を読めてよかった。ところどころで、鮮やかなヒントをもらったような得した気分になったのです。
小沼丹 村のエトランジエ
向田邦子 かわうそ
内田百 サラサーテの盤
川端康成 雪
太宰治 満願
江戸川乱歩 押絵と旅する男
野溝七生子 往来
松井邦雄 悪夢のオルゴール(抄)
渡辺温 可哀想な姉
この小説の後に、詩があります。
大木惇夫 戦友別盃の歌
北原白秋 秋の日 紺屋のおろく
中原中也 朝の歌 雪の宵
西條八十 空の羊 蝶
三好達治 乳母車 少年
佐藤春夫 少年の日 海辺の窓 秋刀魚の歌
伊東静雄 八月の石にすがりて 水中花
久保田万太郎 湯豆腐
そして、最後に劇画。
上村一夫 鶏頭の花
(小説は、私は駄目なので、ここでは詩について)
この冊子の題名は「久世光彦の世界 昭和の幻景」となっております。
ちなみに責任編集は、川本三郎・齋藤慎爾のお二人。
追悼特集というよりも、題名そのままに、内容がつまった一冊。
そのなかに、齋藤慎爾・久世光彦対談「詩歌の潮流」がありました。
それを読んで感銘を覚えたので引用しておきます。
【久世】・・なんであれ、人に「いい」と言われて読んで、よかったことはないね。やはり自分で発見したものしか信用しないから。それで、この人はこんなにいいんだから世間でも有名なんだろうと思って聞くと、そうでもないということがよくあります。でも、僕はそれでちっともかまわない。
こうして語られてゆく対談で、アンソロジーについての話題も出てきます。
【久世】・・大木惇夫さんはいまだにアンソロジーにも入りませんねえ。
【齋藤】かつて戦犯ということで追放されて、今日まで復活されない。久世さんくらいでしょう、復活させようとしているのは。
【久世】いえ。深田祐介、森繁久弥とか崇拝している人はいくらもいますけれど、アンソロジーにも入れないのはなんでかなあ。(p211)
対談では、久世さんご自身の本「マイ・ラスト・ソング」に触れてます(ちなみに、その本は谷沢永一著「いつ、何を読むか」(KKロングセラーズ)の中では、70歳への推薦図書として取り上げられていたなあ)。では、対談から引用してみます。
【齋藤】久世さんの「マイ・ラスト・ソング」、「あなたは最後に何を聴きたいか」ということで、「諸君」にずっと連載をしておられますが、もう何冊か本になっている。
【久世】三冊か四冊じゃないかな。たいへんな回数だ。
【齋藤】最後に選ぶ曲は変わっていくでしょう。
【久世】そりゃあ変わりますよ。ただ、「諸君」という雑誌の読者が高年齢層だから、あまり新しいのはどうも。せいぜい七十年代のフォークが限界じゃないかなあ。新しい歌をやるとあまり評判がよくないんです。これは短歌や俳句ともどこかでリンクするのかもしれないけれど、<歌>というものに対していかに多くの人がいかにたいへんな執着を持っているか。僕はいろいろな連載をやっていますけれど、いちばんたくさん手紙が来るのがあれなんです。・・・・「戦友別盃の歌」を取り上げたときのリアクションもそういうのが多かったですよ。学徒出陣で出て行った青年たちに大木惇夫を愛唱していた人が多いんです。『海原にありて歌へる』に載っているんですが、戦死した兄が出陣のときにそれを持って行ったとか、そういう人がたくさんいたみたい。戦場に持って行った本のベストスリーに折口信夫の『死者の書』と並んでこれも入っているんですよ。そのころの学生にいかに読まれていたか。」(p213)
伊東静雄の詩が、久世光彦さんのアンソロジーに載っているということで、書こうと思ったら、だいぶズレてしまいました。当たらずといえども遠からず(笑)。それよりも、この対談を読めてよかった。ところどころで、鮮やかなヒントをもらったような得した気分になったのです。