2007年の7月25日。
関脇琴光喜の大関昇進。その伝達式の様子がテレビに。佐渡ヶ嶽親方(元関脇琴ノ若)夫婦の真ん中で、使者に対し琴光喜は「いかなる時も力戦奮闘して相撲道に精進します」と口上を述べます。そこで気になったのが、口上を述べる琴光喜の背後に、椅子に腰かけている元佐渡ヶ嶽親方(元横綱琴桜)がいたことでした。
ちょうどその日の読売新聞夕刊では、「31歳3か月での新大関は、年6場所制では増位山の31歳2か月を抜いて最年長昇進となった」とあり。記事の最後に「元横綱琴桜の先代師匠は、『自分が昇進したときよりもうれしい。やめてしまえと言ったこともあったが、よくやった』と喜んでいた。」とあります。琴光喜を自ら育てた琴桜自身はといえば、横綱に昇進したのが32歳1か月のときで、これも年6場所制では、今でも最高齢として残っているそうです。
さて、それからひと月もたたない8月15日に、元横綱琴桜(66歳)の死去の記事。
ここに、産経新聞の小田島光氏の記事を引用してみます。
「・・・色紙には『前進』『努力』などの言葉を好み、一直線に突進する正攻法の相撲は『猛牛』の異名をとった。幕内優勝5度。華やかな横綱ではなかったが、現役を去ったあとも相撲一筋だった。周囲の親方も認めるスカウト名人。生まれ故郷である鳥取県をはじめ、全国津々浦々に足を運び、相撲を志す少年たちに声をかけた。相撲を全国に普及させた角界の貢献者といってもいい。指導者としての手腕も見事だった。琴風、琴錦、琴富士らを育て、一時は【七琴】を幕内に抱えたこともあった。・・・平成17年11月に定年退職。のちに部屋は娘婿となった琴ノ若に譲り、相談役となった。現役のときは腰やひざを痛め、親方時代には壊疽(えそ)により左足を足首から切断。故障や病とも戦った。厳しく、そして粘り強く。66歳。その相撲人生は、猛牛のごとくいちずだった。」
ちなみに、読売新聞の【評伝】では「先代佐渡ヶ嶽親方 感情豊かな名伯楽」と題しておりました。
伯楽といえば、漢文ですね。
「千里の馬は常には有れども、伯楽は常には有らず」という
名馬を見抜く伯楽はいつもいるとは限らないという韓愈の説。
その伯楽で、最近思い浮かぶ言葉というのがあります。
それは、佐藤優著「地球を斬る」(角川学芸出版)の中の
「日本のインテリジェンス能力」と題する文でした。こう始まります。
「インテリジェンス(情報)能力は当該国家の国力から著しく乖離(かいり)することはないというのが筆者の持論である。GDP(国内総生産)が世界第二位の経済力を誇る日本のインテリジェンス能力が極端に劣るはずはない。本来、インテリジェンスは国家の任務なので、国家機関がその能力を集約する必要がある。だが、現下日本の状況はそうなっていない。民間にインテリジェンスが埋れたままで、国益に直結しない事例を筆者は現役時代に多々見てきた。・・・」
ところで、読売新聞の【評伝】を引用するのを忘れておりました。それは同部屋の琴欧洲のことから書き始められておりました。その文の最後を引用して終ることにします。
「『欧洲、欧洲』とかわいがった当時、『あんなやつはもう忘れた』と琴光喜にわざと冷たく接した。あれから2年。31歳の琴光喜が名古屋で発奮、退職した師匠の思いをかなえた。場所前の言葉は『最後のチャンスだな。あいつが男になるのか、このまま終わってしまうのか。そっと見ていることにした』。名伯楽の目に涙が光っていた。」(三木修司)
関脇琴光喜の大関昇進。その伝達式の様子がテレビに。佐渡ヶ嶽親方(元関脇琴ノ若)夫婦の真ん中で、使者に対し琴光喜は「いかなる時も力戦奮闘して相撲道に精進します」と口上を述べます。そこで気になったのが、口上を述べる琴光喜の背後に、椅子に腰かけている元佐渡ヶ嶽親方(元横綱琴桜)がいたことでした。
ちょうどその日の読売新聞夕刊では、「31歳3か月での新大関は、年6場所制では増位山の31歳2か月を抜いて最年長昇進となった」とあり。記事の最後に「元横綱琴桜の先代師匠は、『自分が昇進したときよりもうれしい。やめてしまえと言ったこともあったが、よくやった』と喜んでいた。」とあります。琴光喜を自ら育てた琴桜自身はといえば、横綱に昇進したのが32歳1か月のときで、これも年6場所制では、今でも最高齢として残っているそうです。
さて、それからひと月もたたない8月15日に、元横綱琴桜(66歳)の死去の記事。
ここに、産経新聞の小田島光氏の記事を引用してみます。
「・・・色紙には『前進』『努力』などの言葉を好み、一直線に突進する正攻法の相撲は『猛牛』の異名をとった。幕内優勝5度。華やかな横綱ではなかったが、現役を去ったあとも相撲一筋だった。周囲の親方も認めるスカウト名人。生まれ故郷である鳥取県をはじめ、全国津々浦々に足を運び、相撲を志す少年たちに声をかけた。相撲を全国に普及させた角界の貢献者といってもいい。指導者としての手腕も見事だった。琴風、琴錦、琴富士らを育て、一時は【七琴】を幕内に抱えたこともあった。・・・平成17年11月に定年退職。のちに部屋は娘婿となった琴ノ若に譲り、相談役となった。現役のときは腰やひざを痛め、親方時代には壊疽(えそ)により左足を足首から切断。故障や病とも戦った。厳しく、そして粘り強く。66歳。その相撲人生は、猛牛のごとくいちずだった。」
ちなみに、読売新聞の【評伝】では「先代佐渡ヶ嶽親方 感情豊かな名伯楽」と題しておりました。
伯楽といえば、漢文ですね。
「千里の馬は常には有れども、伯楽は常には有らず」という
名馬を見抜く伯楽はいつもいるとは限らないという韓愈の説。
その伯楽で、最近思い浮かぶ言葉というのがあります。
それは、佐藤優著「地球を斬る」(角川学芸出版)の中の
「日本のインテリジェンス能力」と題する文でした。こう始まります。
「インテリジェンス(情報)能力は当該国家の国力から著しく乖離(かいり)することはないというのが筆者の持論である。GDP(国内総生産)が世界第二位の経済力を誇る日本のインテリジェンス能力が極端に劣るはずはない。本来、インテリジェンスは国家の任務なので、国家機関がその能力を集約する必要がある。だが、現下日本の状況はそうなっていない。民間にインテリジェンスが埋れたままで、国益に直結しない事例を筆者は現役時代に多々見てきた。・・・」
ところで、読売新聞の【評伝】を引用するのを忘れておりました。それは同部屋の琴欧洲のことから書き始められておりました。その文の最後を引用して終ることにします。
「『欧洲、欧洲』とかわいがった当時、『あんなやつはもう忘れた』と琴光喜にわざと冷たく接した。あれから2年。31歳の琴光喜が名古屋で発奮、退職した師匠の思いをかなえた。場所前の言葉は『最後のチャンスだな。あいつが男になるのか、このまま終わってしまうのか。そっと見ていることにした』。名伯楽の目に涙が光っていた。」(三木修司)