ここのところ、河合隼雄さん、阿久悠さんと続いて亡くなられたのでした。
この欠落感はなんだろう。と思っています。
阿久さんは産経新聞に連載をしておりました。
河合さんは雑誌・新聞等にさまざまな形で連載をされていたのが思い浮かびます。
そういう接点での、随筆を読めなくなってしまったという欠落感を身近に感ずるのです。
ところで、
今日の読売新聞(2007年8月6日)に吉田直哉さんの連載を読めました。読めてよかった。言葉を聞けてよかったと感じました。そこにこんな箇所があります。少し長めですがご勘弁していただいて引用します。
「一週間前、米下院本会議で従軍慰安婦の問題がとりあげられ、対日非難決議案が圧倒的多数で採択された、・・・他の国の過去を掘り返しても人権を守る必要があるのなら、日本の国会も、アメリカ先住民がいかに圧殺され、駆逐されたか、その長い歴史をとりあげ、謝罪要求をしたらいいだろうと思う。しかし、そんな子どもじみた非礼な仕返しはできないから、黙ってこらえる。問題は、こらえて黙っているのは自分だけで、周囲はみな他人に謝らせることはうまいが、本人は絶対に謝らないという連中で、しかもそれが結束している、ということだ。たとえば、旧日本軍が無差別爆撃を行ったことを非難する『南京』という映画がアメリカでつくられ、中国で公開された。その空爆の記録フィルムの一部を見たが、これを無差別爆撃というなら、太平洋戦争末期、日本中の都市が浴びせられたあの常軌を逸した爆撃を、いったい何と呼べばいいのか。小さい都市まで、その町の姿に沿ってまず円環状に焼夷弾を落とされ、炎の檻(おり)によって退路を断たれてから、おもむろにまず中心部から、油脂燃料と焼夷弾をばらまかれたのである。あの戦術に、殺意以外の何か正当化できる意図があったのか、私たちはまだ聞いたことがない。・・・・このあいだの『久間発言』のときも、『ヒロシマ、ナガサキの犠牲者のおかげで、何百万人もの日本人の命が救われたのだ』と米政府高官はその信念を公表した。しかしこのロジック、各地のテロリストが聞いたら、大喜びで自分の行為の正当化に使うのではないか、と心配である。・・」
この文のはじまりは、こうでした。
「毎年とりわけこの時期がくると、われわれ日本人の腹は、破裂もせずよく膨張に耐えるものだとつくづく感嘆する。」
あるあとがきで、養老孟司さんは、吉田直哉さんのことをこう書いておりました。
「吉田さんの随筆は私は大好きである。実際に仕事で動きまわった人でないと、ああいうことは書けないし、その体験が十分に消化されて、距離ができてこないと、ああいう味は出ない。そういう距離を一生作れない人も多いのではないか、と思う。」(対談「目から脳に抜ける話」ちくま文庫)
たぐいまれなる距離感をもつお二人が亡くなり、その空席は埋めようもなく。
ただその喪失感を埋めるべく、つぎの言葉を探し始めている自分がいるのでした。
この欠落感はなんだろう。と思っています。
阿久さんは産経新聞に連載をしておりました。
河合さんは雑誌・新聞等にさまざまな形で連載をされていたのが思い浮かびます。
そういう接点での、随筆を読めなくなってしまったという欠落感を身近に感ずるのです。
ところで、
今日の読売新聞(2007年8月6日)に吉田直哉さんの連載を読めました。読めてよかった。言葉を聞けてよかったと感じました。そこにこんな箇所があります。少し長めですがご勘弁していただいて引用します。
「一週間前、米下院本会議で従軍慰安婦の問題がとりあげられ、対日非難決議案が圧倒的多数で採択された、・・・他の国の過去を掘り返しても人権を守る必要があるのなら、日本の国会も、アメリカ先住民がいかに圧殺され、駆逐されたか、その長い歴史をとりあげ、謝罪要求をしたらいいだろうと思う。しかし、そんな子どもじみた非礼な仕返しはできないから、黙ってこらえる。問題は、こらえて黙っているのは自分だけで、周囲はみな他人に謝らせることはうまいが、本人は絶対に謝らないという連中で、しかもそれが結束している、ということだ。たとえば、旧日本軍が無差別爆撃を行ったことを非難する『南京』という映画がアメリカでつくられ、中国で公開された。その空爆の記録フィルムの一部を見たが、これを無差別爆撃というなら、太平洋戦争末期、日本中の都市が浴びせられたあの常軌を逸した爆撃を、いったい何と呼べばいいのか。小さい都市まで、その町の姿に沿ってまず円環状に焼夷弾を落とされ、炎の檻(おり)によって退路を断たれてから、おもむろにまず中心部から、油脂燃料と焼夷弾をばらまかれたのである。あの戦術に、殺意以外の何か正当化できる意図があったのか、私たちはまだ聞いたことがない。・・・・このあいだの『久間発言』のときも、『ヒロシマ、ナガサキの犠牲者のおかげで、何百万人もの日本人の命が救われたのだ』と米政府高官はその信念を公表した。しかしこのロジック、各地のテロリストが聞いたら、大喜びで自分の行為の正当化に使うのではないか、と心配である。・・」
この文のはじまりは、こうでした。
「毎年とりわけこの時期がくると、われわれ日本人の腹は、破裂もせずよく膨張に耐えるものだとつくづく感嘆する。」
あるあとがきで、養老孟司さんは、吉田直哉さんのことをこう書いておりました。
「吉田さんの随筆は私は大好きである。実際に仕事で動きまわった人でないと、ああいうことは書けないし、その体験が十分に消化されて、距離ができてこないと、ああいう味は出ない。そういう距離を一生作れない人も多いのではないか、と思う。」(対談「目から脳に抜ける話」ちくま文庫)
たぐいまれなる距離感をもつお二人が亡くなり、その空席は埋めようもなく。
ただその喪失感を埋めるべく、つぎの言葉を探し始めている自分がいるのでした。