和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

平和もまた。

2007-08-14 | Weblog
日経新聞2007年8月12日の文化欄に桶谷秀昭氏の「蝉声と戦争」という文が掲載されておりました。最初は蝉の話からはじまり、興味深く切り離せないのですが、そこは省略して、次にこうあります。
「8月15日に無条件降伏をしない場合、本土決戦は避けられなかった・・本土決戦というのは、一億総特攻の思想であり・・これは戦術とか作戦構想の名にあたいするであろうか。近代戦争の常識は、もちろん、否という。今日、あの戦争を『愚かな戦争』と呼ぶ一種の輿論(よろん)も、近代戦争の常識を背景にしている。しかし、日本の剣法に捨身(すてみ)必殺の法というのがあった。技倆(ぎりょう)の差があって勝ち目のない相手と立ち合わねばならぬ破目になったとき、目をつぶって上段に構え、身体のどこかにひやりとした感触があった瞬間に太刀を振りおろせば、相打ちとなって、自分も相手もともに死ぬ。」

ここで桶谷さんは現在の話にうつり、テレビで、この夏に空襲の体験を話す会をひらくというニュースに関する発言をとりあげております。

「当時小学生だったというから、私より五、六歳、歳下の方であろう。『戦争のむなしさと生命の尊さを子供たちに伝えたい』と語っていた。戦争体験の継承というこの人たちの使命感それ自体を、私は疑わない。しかし、戦争を知らない子供たちに、『戦争のむなしさ』をどのように伝えるのだろうか。戦争には、平和な時代が知らない濃密な人生の時間がある。そしてそれが一瞬の死と背中合わせになっている。それを『むなしさ』で片づけるなら、平和もまたむなしいのである。」

この緊密な文章を端折るのは、残念なのですが、文章の最後を引用します。

「沖縄陥落の6月下旬から8月15日にいたる最後の日々、マリアナ、硫黄島、沖縄の基地からやってくるB29爆撃機の空襲は、大都市から中都市に範囲をひろげ、日本全土を焦土廃墟と急激に化していった。そういう日々に、『みたみわれ生けるしるしありあめつちの栄ゆるときに逢へらくおもえば』と万葉集の歌を口ずさみ、迫りくる本土決戦を待っていた『愚かな』日本人の一人であった私は、この人生の時を、いまだに忘れることができないのである。」


桶谷秀昭(おけたにひであき)氏の本は読んだことがないのでした。
1932年東京生まれとあります。
新聞の切り抜きは、後で読み直そうとおもっても、たいていが、後で読みたくなった時に、今度は探しだせずに終ってしまうことたびたび。
この「平和もまたむなしいのである」という言葉も、あらためて読み直したくなる気がします。
コメント
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