ほんねこさんのブログ「書迷博客」。
そこで最近6回にわたって(7月30日~8月4日)「北京の書店」の紹介が載っておりました。これが楽しくて、読み甲斐があります。
ひと区切りの6回目には「潘家園旧貨市場は毎週土日に開かれる巨大な骨董市」の紹介でした。それを読んでいたら、そういえば、と思ったわけです。
漱石はロンドンで古本を購入していたのでした。
清水一嘉著「自転車に乗る漱石 百年前のロンドン」(朝日選書)
その第6章は「古本屋めぐり」でした。こうはじまります。
「1900年(明治33)から約二年間ロンドンに滞在した漱石は、その間多くの本を買っている。・・その数についてはつぎのような推定がある。『月額百五十円の留学費のうち、五十円程度は毎月書物費にあてていたのではないかと思われる。・・二年間に費やされた書物代は、大雑把に見て千二百円程度であろう。おそらく、これによって購入できた洋書の数は、最低でも四百冊、多く見積もれば五百冊から六百冊に達したと思われる』(出口保夫「ロンドン漱石文学散歩」)。漱石はこれらの本のほとんどを古本屋で買ったと考えられる。・・」(p52)
こうして、どんな古本屋に立ち寄ったかを調べておりました。
たとえば、こんな様子も調べております。
「ここでは毎週土曜日の午後に古本市がたったという。つまり、店舗をかまえた古本屋ではなく、手押し車に本を満載した古本屋がその日だけやってきて店を並べる。かれらはウィークデイは自分たちの本業(それが何であれ)に専念し、土曜日の午後になると路上に店開きし、道ゆくひとに本を売った。・・・・有名なのはファリンドン・ストリートの古本市で、毎週土曜日の午前中に30台から40台の手押し車が道路に沿って延々と並んだ。こういう古本屋の魅力はなんといっても本が安いことで、漱石もその魅力にひかれてしばしば訪れたのだろう。1901年4月13日の土曜日には、エレファント・アンド・カースルでW・スミスの『聖書辞典』とE・スペンサーの作品集など全部で33円分を買っている。先にも書いた通り、漱石がここを訪れたのはたいてい土曜日であった。」
まだいろいろと続くのでした。漱石はチャリング・クロス・ロードにも立ち寄っております。この街で思い浮かぶ本といえば、「チャリング・クロス街84番地 本を愛する人のための本」(へレーン・ハンフ編著、江藤淳訳講談社)だったりします。
その本の解説を、訳者の江藤淳さんは、こう書いておりました。
「・・私が、生まれてはじめて西洋の古本屋ののれんをくぐったのは・・1961年の夏の終りごろのことだった。・・私は緊張し、興奮し、そしてあちこち歩きまわりすぎたので少し疲れていた。グリーン・パークのベンチに坐ってひと息入れてから、気をとり直してまた街に出ると、そこに・・・」
余談にわたりすぎました。
ほんねこさんのブログ「書迷博客」(7月30日~8月4日)。
そこでの「北京の書店」は古本屋とは違いますが、あちこちの本屋を疲れながらもめぐっている息づかいが伝わるような書きぶりで読ませるのです。しかも、毎回写真入りでリアル。そのままに雑誌特集「北京の書店」としても通用します。本屋に興味がおありの方は是非。
そこで最近6回にわたって(7月30日~8月4日)「北京の書店」の紹介が載っておりました。これが楽しくて、読み甲斐があります。
ひと区切りの6回目には「潘家園旧貨市場は毎週土日に開かれる巨大な骨董市」の紹介でした。それを読んでいたら、そういえば、と思ったわけです。
漱石はロンドンで古本を購入していたのでした。
清水一嘉著「自転車に乗る漱石 百年前のロンドン」(朝日選書)
その第6章は「古本屋めぐり」でした。こうはじまります。
「1900年(明治33)から約二年間ロンドンに滞在した漱石は、その間多くの本を買っている。・・その数についてはつぎのような推定がある。『月額百五十円の留学費のうち、五十円程度は毎月書物費にあてていたのではないかと思われる。・・二年間に費やされた書物代は、大雑把に見て千二百円程度であろう。おそらく、これによって購入できた洋書の数は、最低でも四百冊、多く見積もれば五百冊から六百冊に達したと思われる』(出口保夫「ロンドン漱石文学散歩」)。漱石はこれらの本のほとんどを古本屋で買ったと考えられる。・・」(p52)
こうして、どんな古本屋に立ち寄ったかを調べておりました。
たとえば、こんな様子も調べております。
「ここでは毎週土曜日の午後に古本市がたったという。つまり、店舗をかまえた古本屋ではなく、手押し車に本を満載した古本屋がその日だけやってきて店を並べる。かれらはウィークデイは自分たちの本業(それが何であれ)に専念し、土曜日の午後になると路上に店開きし、道ゆくひとに本を売った。・・・・有名なのはファリンドン・ストリートの古本市で、毎週土曜日の午前中に30台から40台の手押し車が道路に沿って延々と並んだ。こういう古本屋の魅力はなんといっても本が安いことで、漱石もその魅力にひかれてしばしば訪れたのだろう。1901年4月13日の土曜日には、エレファント・アンド・カースルでW・スミスの『聖書辞典』とE・スペンサーの作品集など全部で33円分を買っている。先にも書いた通り、漱石がここを訪れたのはたいてい土曜日であった。」
まだいろいろと続くのでした。漱石はチャリング・クロス・ロードにも立ち寄っております。この街で思い浮かぶ本といえば、「チャリング・クロス街84番地 本を愛する人のための本」(へレーン・ハンフ編著、江藤淳訳講談社)だったりします。
その本の解説を、訳者の江藤淳さんは、こう書いておりました。
「・・私が、生まれてはじめて西洋の古本屋ののれんをくぐったのは・・1961年の夏の終りごろのことだった。・・私は緊張し、興奮し、そしてあちこち歩きまわりすぎたので少し疲れていた。グリーン・パークのベンチに坐ってひと息入れてから、気をとり直してまた街に出ると、そこに・・・」
余談にわたりすぎました。
ほんねこさんのブログ「書迷博客」(7月30日~8月4日)。
そこでの「北京の書店」は古本屋とは違いますが、あちこちの本屋を疲れながらもめぐっている息づかいが伝わるような書きぶりで読ませるのです。しかも、毎回写真入りでリアル。そのままに雑誌特集「北京の書店」としても通用します。本屋に興味がおありの方は是非。