阿久悠氏の新聞での追悼文を読みました。
私が読んだのは少ないのですが、以下
産経抄(2007年8月2日)
読売新聞の編集手帳(8月4日)
読売新聞の山折哲雄「阿久悠さんを悼む」(8月2日)
産経新聞の篠原正浩「朴訥な人柄、奔放な感性」(8月4日)
さて山折哲雄氏は、その追悼文の最後をこうしめくくっておりました。
「阿久悠こそ、われわれが忘れ去ってしまった叙情の原風景を現代に蘇らせた、まれな詩人だったとあらためて思う。」
8月2日の産経抄の最後の方には
「阿久さんは若者の言葉の乱れは、彼らの魂を揺さぶる警句がないからだと喝破した。メディアにはさらに厳しく、『批判が悪いと社会は緊張を欠き、堕落する』と叱った。・・」
メディアということで、思い到るのは昨日(8月6日)の産経新聞連載の曽野綾子さんの「透明な歳月の光」(254回)でした。題して「若い世代の閣僚 日本語力の無惨な形骸化」でした。
その最後で曽野さんは、ついでのように、こう語るのでした。
「しかし考えてみれば、社保庁の杜撰さを放置したのは歴代長官と自民党の議員たちだけだったのではない。その間野党の全議員たちと公労協は何一つ声を上げなかった。さらに責任を問いたいのはマスコミである。彼らは長年社保庁の中にある記者クラブにいながら何一つ見抜けなかったのだ。(もちろん産経新聞もですゾ!)」
そのひとつ朝日新聞は、どうしているのか、という最近事情を「花田紀凱(かずよし)の週刊誌ウォッチング」(産経新聞8月4日)が教えてくれております。
その最初を引用してみます。
「朝日新聞の異常な安倍叩きがまだ続いている。朝日自身による参院選後の緊急調査でも『首相は辞任を』47%、『続けてほしい』40%とそれほど差がないし、自民大敗については『原因が安倍首相にある』34%、『そうは思わない』59%という数字なのに『首相の続投 国民はあぜんとしている』(7月31日社説)。『週刊朝日』(8月10日号)や『AERA』(8月6日号)まで動員、朝日新聞全社挙げての安倍叩きにはそれこそ『あぜん』とする。ちなみに読売の世論調査では『続投を評価する』44%、『評価しない』45%と拮抗(きっこう)。<歴史的大敗>とやらでテレビも新聞も安倍批判一色。・・・・」
さて、社保庁にある記者クラブも、社保庁が無くなれば消える運命なのでしょうか。それとも、まだ記者クラブを死守するのでしょうか。この問題を、新聞は語らず(テレビはなおさら)、ひとり産経での曽野綾子さんが指摘してくれたわけです。
思えば、産経新聞の土曜日連載が「阿久悠 書く言う」。
月曜日連載が「曽野綾子の透明な歳月の光」とつづいていたのでした。
その片割れを、もう読めなくなったわけです。
私が読んだのは少ないのですが、以下
産経抄(2007年8月2日)
読売新聞の編集手帳(8月4日)
読売新聞の山折哲雄「阿久悠さんを悼む」(8月2日)
産経新聞の篠原正浩「朴訥な人柄、奔放な感性」(8月4日)
さて山折哲雄氏は、その追悼文の最後をこうしめくくっておりました。
「阿久悠こそ、われわれが忘れ去ってしまった叙情の原風景を現代に蘇らせた、まれな詩人だったとあらためて思う。」
8月2日の産経抄の最後の方には
「阿久さんは若者の言葉の乱れは、彼らの魂を揺さぶる警句がないからだと喝破した。メディアにはさらに厳しく、『批判が悪いと社会は緊張を欠き、堕落する』と叱った。・・」
メディアということで、思い到るのは昨日(8月6日)の産経新聞連載の曽野綾子さんの「透明な歳月の光」(254回)でした。題して「若い世代の閣僚 日本語力の無惨な形骸化」でした。
その最後で曽野さんは、ついでのように、こう語るのでした。
「しかし考えてみれば、社保庁の杜撰さを放置したのは歴代長官と自民党の議員たちだけだったのではない。その間野党の全議員たちと公労協は何一つ声を上げなかった。さらに責任を問いたいのはマスコミである。彼らは長年社保庁の中にある記者クラブにいながら何一つ見抜けなかったのだ。(もちろん産経新聞もですゾ!)」
そのひとつ朝日新聞は、どうしているのか、という最近事情を「花田紀凱(かずよし)の週刊誌ウォッチング」(産経新聞8月4日)が教えてくれております。
その最初を引用してみます。
「朝日新聞の異常な安倍叩きがまだ続いている。朝日自身による参院選後の緊急調査でも『首相は辞任を』47%、『続けてほしい』40%とそれほど差がないし、自民大敗については『原因が安倍首相にある』34%、『そうは思わない』59%という数字なのに『首相の続投 国民はあぜんとしている』(7月31日社説)。『週刊朝日』(8月10日号)や『AERA』(8月6日号)まで動員、朝日新聞全社挙げての安倍叩きにはそれこそ『あぜん』とする。ちなみに読売の世論調査では『続投を評価する』44%、『評価しない』45%と拮抗(きっこう)。<歴史的大敗>とやらでテレビも新聞も安倍批判一色。・・・・」
さて、社保庁にある記者クラブも、社保庁が無くなれば消える運命なのでしょうか。それとも、まだ記者クラブを死守するのでしょうか。この問題を、新聞は語らず(テレビはなおさら)、ひとり産経での曽野綾子さんが指摘してくれたわけです。
思えば、産経新聞の土曜日連載が「阿久悠 書く言う」。
月曜日連載が「曽野綾子の透明な歳月の光」とつづいていたのでした。
その片割れを、もう読めなくなったわけです。