今年は月刊誌「文藝春秋」の創刊85周年特別キャンペーンだそうで、一年間の定期購読をすると送料無料にて自宅へと送ってもらえます。さっそく申し込んでみると、発売日は10日ですが、大抵は2~3日早めに送られて来るのでした。ということで9月号が、もう手元に届いております。
さっそく私が開いたのは雑誌の最後の方に載っている蓋棺録(がいかんろく)でした。まず最初には河合隼雄が取り上げられております(阿久悠はまだ、9月号では亡くなっておりませんでした)。河合隼雄の追悼紹介文は1ページとちょっとですが、ただの経歴紹介とは違って、その人の全体を俯瞰できる情理かねそなえた、すばらしい人となりの紹介となっておりました。丁寧に咀嚼された内容で、このままに、中・高校生に読ませたくなるような、分かりやすくも感銘の短文になっておりました(こうして褒め言葉を重ねると、かえって軽めに感じちゃうでしょうか?)。うん、ほかの人はいざ知らず。私はこれを読めて満足です。
それから、蓋棺録よりすこし前にある「新聞エンマ帖」も見てみました。
最初に新聞の一面コラムを取り上げております。ちゃんとした批判なのですが、
ちょいと褒めていたりします。たとえば「文章の質の高さでは現在、群を抜く読売『編集手帳』」とさりげなく、書いてあったりします。
辛口の味わいとしては、こんな箇所。
「毎日の『余録」にも苦言を呈しておく。7月18日付で新潟県の中越沖地震の話題をとりあげ、鈴木牧之の『北越雪譜』を引用していたが、2004年10月の中越地震の際にも使ったし、昨年1月にも大雪の話題で取り上げたばかりではないか。この本はコラムの筆者の好みに合うらしく、04年の中越地震の際には日経『春秋』、産経『産経抄』、それに読売夕刊一面の『よみうり寸評』までが引用していた。雪の話題ならば『北越雪譜』でいっちょあがり、という発想の貧困が問題なのだ。・・」
新聞を読んでいる人の、こんな指摘には、各一面コラムニストが襟を正すキッカケとなるのでしょうね。それにしても、私は「北越雪譜」をいまだ読んではいないので、ちょいとコラムの話題にはついていけないのでした。
さっそく私が開いたのは雑誌の最後の方に載っている蓋棺録(がいかんろく)でした。まず最初には河合隼雄が取り上げられております(阿久悠はまだ、9月号では亡くなっておりませんでした)。河合隼雄の追悼紹介文は1ページとちょっとですが、ただの経歴紹介とは違って、その人の全体を俯瞰できる情理かねそなえた、すばらしい人となりの紹介となっておりました。丁寧に咀嚼された内容で、このままに、中・高校生に読ませたくなるような、分かりやすくも感銘の短文になっておりました(こうして褒め言葉を重ねると、かえって軽めに感じちゃうでしょうか?)。うん、ほかの人はいざ知らず。私はこれを読めて満足です。
それから、蓋棺録よりすこし前にある「新聞エンマ帖」も見てみました。
最初に新聞の一面コラムを取り上げております。ちゃんとした批判なのですが、
ちょいと褒めていたりします。たとえば「文章の質の高さでは現在、群を抜く読売『編集手帳』」とさりげなく、書いてあったりします。
辛口の味わいとしては、こんな箇所。
「毎日の『余録」にも苦言を呈しておく。7月18日付で新潟県の中越沖地震の話題をとりあげ、鈴木牧之の『北越雪譜』を引用していたが、2004年10月の中越地震の際にも使ったし、昨年1月にも大雪の話題で取り上げたばかりではないか。この本はコラムの筆者の好みに合うらしく、04年の中越地震の際には日経『春秋』、産経『産経抄』、それに読売夕刊一面の『よみうり寸評』までが引用していた。雪の話題ならば『北越雪譜』でいっちょあがり、という発想の貧困が問題なのだ。・・」
新聞を読んでいる人の、こんな指摘には、各一面コラムニストが襟を正すキッカケとなるのでしょうね。それにしても、私は「北越雪譜」をいまだ読んではいないので、ちょいとコラムの話題にはついていけないのでした。