渡部昇一著「父の哲学」(幻冬舎)を読んでいたせいか、
男性像を思うのでした。
最近、川本三郎著「向田邦子と昭和の東京」(新潮新書)
と長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」(朝日出版社)とを読みました。
そこで、気になったことを書きます。
まずは、向田邦子からはじめます。
「向田邦子ふたたび」で、山口瞳氏が「向田邦子は戦友だった」という文を書いております。直木賞選考委員の新参者山口瞳氏は、そこで向田邦子を推薦する側におりました。そして、向田さんが直木賞を受賞する様子をリアルに書いているのでした。私が興味をもったのはそれとは別で、この箇所なのです。
「向田邦子は何でも知っていた。特に昭和初期から十年代にかけての東京の下町、山の手の家庭内での独特の言い廻しについてよく記憶していることは驚くべきものがあった。それが彼女のtvドラマ、小説、随筆における武器になり魅力になっていた。戦中派の男性が、たちまちにしてイカレテしまうのはそのためだった。
しかし、向田邦子にはわかっていないこともたくさんあった。彼女は、家庭内の機微、夫婦生活のそれについて、わかっているようで、まるでわかっていない。特に夫婦生活については、皆目駄目だった。たとえば、『夏服、冬服の始末も自分で出来ない鈍感な夫』というような描写があった。家庭内では、通常、夏服、冬服の出し入れは妻の役目である。『宅次は勤めが終ると真直ぐうちへ帰り、縁側に坐って一服やりながら庭を眺めるのが毎日のきまりになっていた』(かわうそ)というのもおかしい。会社から家まで一時間半。田舎の町役場に勤めているならいざしらず、ふつう、小心者の文書課長である夫は暗くなってから帰宅するはずである。『あら、そう・・・』どのときでも彼女は笑って聞き流していた。向田邦子は、都心部の高層マンションに、ずっと長く一人で暮していた。未婚である。夫婦のことに暗いのは無理もない。私は、向田邦子にいろいろ教えてもらいたいことがあった。私もまた、向田邦子に、たくさんのことを教えてあげられると思った。」
川本三郎のその新書では、向田邦子のほめ言葉を並べていて、この山口瞳氏の視点がみごとに欠如しておりました。
つぎに行きます。長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」に
町子さんと父親についてのエピソードが出てきます。
「父は町子姉が女学校二年の春、亡くなったのだが、父への思い入れもまた、深かった。『とてもハンサムなの。中折れ帽をかぶって金縁の眼鏡をかけて、鼻の下にヒゲをはやして、素敵な紳士だったわ』と度々聞かされた。夕方になると、その素敵な父親を眺めるために、二階に上がって窓際に頬杖をついて座り込み、父の姿が道の向うに現れるのを毎日待っていたのだそうだ。」(p10)
そして、そのあとにこう書かれております。
「町子姉は家の中だけが彼女にとって本当に居心地のいい世界だったから、喜怒哀楽はすべて家庭の中で発散していた。・・・私が、『少し我儘が過ぎるんじゃない』と意見すると、『我儘というのは、我のままということでしょう。それはつまり裏表のナイ、ウソのない人ということよ。わかったか、ボケナス!』とうそぶいて改める気色もなかった。三つ子の魂百までと言うが、かつての悪童は閉鎖的な家庭の中で、そのまま大人になってしまったようだ。」
「結婚についても、いくつか縁談があり、中には婚約までいきながら土壇場で断った例もあった。『やっぱり私は結婚には向かない。ご亭主や子供の世話で一生を送るなんて我慢できない。お嫁さんがほしいのは私のほうだわ』・・・」
うんうん。長谷川町子さんの「マスオさん」とか、
向田邦子さんがつくった夫像(読んだことないのです。スミマセン)とか、
そんな夫像に、簡単に刷り込まれてしまう危険性を思うのでした。
それよりも、あたらしい「父の哲学」が映像として求められる時代に
これからは、なってゆくのでしょう。
もうひとつ引用しておきます。
「サザエさんの〈昭和〉」(柏書房)の最初は、草森紳一氏の「不幸なサザエさん」という文からはじまっておりました。
そこで独身を通した草森氏はこう書いておりました。
「『サザエさん』のもつ活力と笑いというものは敗戦の暗さの中に笑の灯をといった精神的なものではなく、時代が変換すれば、すぐ対応していくことのできる女性特有の鈍さ強さ現金さに負うところが多い。戦後、男女平等の思想が、アメリカ側によって強力にもちこまれた。女性はこういった社会変革を、なんの抵抗もなく、抵抗していては生きていられないとして、ムシャクシャと食べつくしてしまう。日本にとっては、急激な変革のはずだ。その『男女平等の思想』をすぐにあわてて食べても、下痢するのに決っており、滑稽だからゆっくり食べろといっても、女性はふりむきもしないで食べてしまうのである。過去において抑えられていた女性よりも、むしろ若い女性が順応していった。おふくろのお舟は、古風な女性の節度を守っていて、次代の変動によっても、かわることはないのだが、サザエさんは、まったく『時代の子』ぶりを発揮する。」(p8)
まとまりませんが、まとまってから書こうとしたら、こういうブログはいつまでも書けそうもありません(笑)ので、とにかくも書き込んでおきます。
そういえば、「サザエさん旅あるき」(姉妹社)に
外国旅行をしている町子さんたちが「車はインバネスにむかいます」という次のコマに「幼いころ、紳士はインバネスをよく着ました。子供心に『父ちゃんは上品だなア』と、みとれたものです」とあり、玄関で町子さんの父親がインバネスを羽織り、お母さんが背後から着せ掛けているようなしぐさをしているのを、膝小僧をかかえながら、小さな町子さんが眺めているカットが描かれておりました(p104)。
男性像を思うのでした。
最近、川本三郎著「向田邦子と昭和の東京」(新潮新書)
と長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」(朝日出版社)とを読みました。
そこで、気になったことを書きます。
まずは、向田邦子からはじめます。
「向田邦子ふたたび」で、山口瞳氏が「向田邦子は戦友だった」という文を書いております。直木賞選考委員の新参者山口瞳氏は、そこで向田邦子を推薦する側におりました。そして、向田さんが直木賞を受賞する様子をリアルに書いているのでした。私が興味をもったのはそれとは別で、この箇所なのです。
「向田邦子は何でも知っていた。特に昭和初期から十年代にかけての東京の下町、山の手の家庭内での独特の言い廻しについてよく記憶していることは驚くべきものがあった。それが彼女のtvドラマ、小説、随筆における武器になり魅力になっていた。戦中派の男性が、たちまちにしてイカレテしまうのはそのためだった。
しかし、向田邦子にはわかっていないこともたくさんあった。彼女は、家庭内の機微、夫婦生活のそれについて、わかっているようで、まるでわかっていない。特に夫婦生活については、皆目駄目だった。たとえば、『夏服、冬服の始末も自分で出来ない鈍感な夫』というような描写があった。家庭内では、通常、夏服、冬服の出し入れは妻の役目である。『宅次は勤めが終ると真直ぐうちへ帰り、縁側に坐って一服やりながら庭を眺めるのが毎日のきまりになっていた』(かわうそ)というのもおかしい。会社から家まで一時間半。田舎の町役場に勤めているならいざしらず、ふつう、小心者の文書課長である夫は暗くなってから帰宅するはずである。『あら、そう・・・』どのときでも彼女は笑って聞き流していた。向田邦子は、都心部の高層マンションに、ずっと長く一人で暮していた。未婚である。夫婦のことに暗いのは無理もない。私は、向田邦子にいろいろ教えてもらいたいことがあった。私もまた、向田邦子に、たくさんのことを教えてあげられると思った。」
川本三郎のその新書では、向田邦子のほめ言葉を並べていて、この山口瞳氏の視点がみごとに欠如しておりました。
つぎに行きます。長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」に
町子さんと父親についてのエピソードが出てきます。
「父は町子姉が女学校二年の春、亡くなったのだが、父への思い入れもまた、深かった。『とてもハンサムなの。中折れ帽をかぶって金縁の眼鏡をかけて、鼻の下にヒゲをはやして、素敵な紳士だったわ』と度々聞かされた。夕方になると、その素敵な父親を眺めるために、二階に上がって窓際に頬杖をついて座り込み、父の姿が道の向うに現れるのを毎日待っていたのだそうだ。」(p10)
そして、そのあとにこう書かれております。
「町子姉は家の中だけが彼女にとって本当に居心地のいい世界だったから、喜怒哀楽はすべて家庭の中で発散していた。・・・私が、『少し我儘が過ぎるんじゃない』と意見すると、『我儘というのは、我のままということでしょう。それはつまり裏表のナイ、ウソのない人ということよ。わかったか、ボケナス!』とうそぶいて改める気色もなかった。三つ子の魂百までと言うが、かつての悪童は閉鎖的な家庭の中で、そのまま大人になってしまったようだ。」
「結婚についても、いくつか縁談があり、中には婚約までいきながら土壇場で断った例もあった。『やっぱり私は結婚には向かない。ご亭主や子供の世話で一生を送るなんて我慢できない。お嫁さんがほしいのは私のほうだわ』・・・」
うんうん。長谷川町子さんの「マスオさん」とか、
向田邦子さんがつくった夫像(読んだことないのです。スミマセン)とか、
そんな夫像に、簡単に刷り込まれてしまう危険性を思うのでした。
それよりも、あたらしい「父の哲学」が映像として求められる時代に
これからは、なってゆくのでしょう。
もうひとつ引用しておきます。
「サザエさんの〈昭和〉」(柏書房)の最初は、草森紳一氏の「不幸なサザエさん」という文からはじまっておりました。
そこで独身を通した草森氏はこう書いておりました。
「『サザエさん』のもつ活力と笑いというものは敗戦の暗さの中に笑の灯をといった精神的なものではなく、時代が変換すれば、すぐ対応していくことのできる女性特有の鈍さ強さ現金さに負うところが多い。戦後、男女平等の思想が、アメリカ側によって強力にもちこまれた。女性はこういった社会変革を、なんの抵抗もなく、抵抗していては生きていられないとして、ムシャクシャと食べつくしてしまう。日本にとっては、急激な変革のはずだ。その『男女平等の思想』をすぐにあわてて食べても、下痢するのに決っており、滑稽だからゆっくり食べろといっても、女性はふりむきもしないで食べてしまうのである。過去において抑えられていた女性よりも、むしろ若い女性が順応していった。おふくろのお舟は、古風な女性の節度を守っていて、次代の変動によっても、かわることはないのだが、サザエさんは、まったく『時代の子』ぶりを発揮する。」(p8)
まとまりませんが、まとまってから書こうとしたら、こういうブログはいつまでも書けそうもありません(笑)ので、とにかくも書き込んでおきます。
そういえば、「サザエさん旅あるき」(姉妹社)に
外国旅行をしている町子さんたちが「車はインバネスにむかいます」という次のコマに「幼いころ、紳士はインバネスをよく着ました。子供心に『父ちゃんは上品だなア』と、みとれたものです」とあり、玄関で町子さんの父親がインバネスを羽織り、お母さんが背後から着せ掛けているようなしぐさをしているのを、膝小僧をかかえながら、小さな町子さんが眺めているカットが描かれておりました(p104)。