和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

貞観政要。

2008-06-14 | Weblog
谷沢永一・渡部昇一著「『貞観政要』に学ぶ 上に立つ者の心得」(到知出版社)を読んだのでした。それで思い浮かんだのがドナルド・キーンさんの「明治天皇」でした。といっても私は、その本を読んでいないので、講演記録をまとめたドナルド・キーン著「明治天皇を語る」(新潮新書)が浮んだのです。

そんなこんなを、語りたいと思います。
まずは、明治天皇について、
鼎談「同時代を生きて」(岩波書店)のなかにこんな箇所があります。
(鼎談は瀬戸内寂聴。鶴見俊輔。ドナルド・キーンのお三方)

【瀬戸内】日本人が書いたものよりよくわかるんだもの。『明治天皇』なんて、日本人は誰もよう書かないでしょう。
【鶴見】日本人には書けないんです。あれを思い、これを思うから。・・
【瀬戸内】近代に入って、歴代の天皇の中で、われわれはわからないけれど、なんとなく明治天皇は格別という感じがしませんか。
【キーン】します。
【瀬戸内】私たち大正11年生まれなんかにとっては、有無を言わさない偉い人でしたね。
【鶴見】そうです、そうです。(p24~25)


鼎談でこんな箇所もあったりしました。

【キーン】変な言い方ですが、それは投資として最高のものでした。そういうふうにお金を使ったことが、日本のためになったのです。もし、そのときに同じお金で、たとえば皇室が素晴らしい宮殿を造ったとすれば、ぜんぜん違っていたでしょう。しかし、明治天皇は新しい宮殿建造を断っています。皇居が火事で焼けたのですが、新しい皇居を造るという話が出るたびに、いつも断っていました。それは、ほかの国の歴史にちょっとないことです。また、明治天皇の立像がどこにもないというのも偉いと思います。
【鶴見】それはすごいことですねえ。
【キーン】それはすごいことです。
【鶴見】いや、それは気づかなかったなあ。
【キーン】ヨーロッパのどんな小さな国へ行っても、君主の立像とか、乗馬姿の像などが必ずありますが、明治天皇にはそれがまったくないんです。それはたいしたものだと思います。・・・  (p180~181)


さて、どうして明治天皇のことが思い浮かんだのかというと、
これから谷沢・渡部対談「『貞観政要』に学ぶ上に立つ者の心得」について引用してみます。


【谷沢】・・この『貞観政要(じょうがんせいよう)』には、唐の太宗(たいそう)とその臣下のやりとりが事細かく書かれています。唐の太宗は、王を諌(いさ)める役目の諌議大夫(かんぎたいふ)という役職を置くわけですね。その諌議大夫あるいは諌臣(かんしん)といわれる重臣たちが、唐の太宗にどんどん上疏文(じょうそぶん)を出すわけです。ようここまで言うたなと思うぐらい、忠告するんですよ。(p39)


【谷沢】それから太宗を取り巻く諌臣と言われている連中がいます。『貞観政要』には、この連中の家は質素で表座敷すらなかったということが書いてある。それが本当であるとすれば、これも奇跡的なことです。
【渡部】それほど皇帝の近くにいる人が贅沢しないということはシナでは考えられないですからね。(p47)

【谷沢】魏徴もそうですが、諌臣たちは太宗に対して『質素にしろ』ということをやかましく言いますからね。・・・たとえば、あまりにも古びている宮殿にちょっと手を加えたいというぐらいの気持ちはある。ところが太宗がそう言うと、ただちに魏徴が『それはなりませぬ』と上申するわけです。当時は貴族社会ですから、帝が贅沢をしたらその下の貴族が贅沢をする。帝王と貴族が贅沢をすれば、そのツケは庶民にまわってくる。だから帝王は贅沢をしてはいけない、宮殿に手を入れるのはやめなさい、という具合にね。・・・・
【渡部】止める側の人が贅沢な生活していたら『なんだ、お前は』という話になりますけれど、みんな非常に質素であったから太宗も認めざるを得なかったというわけです。その気になれば、諌臣たちは太宗に『贅沢しなさい』『美女を集めなさい』とおべっかを使えば、自分たちも同じ贅沢ができる立場にあったんですけれどね。
【谷沢】それが揃いも揃って清廉潔白で、政治とはどうあるべきかということだけを考えて一生過ごした。そんな諌臣が十人ぐらいおったというわけですから、この組み合わせも奇跡ですね。(p48~49)



ということで、「明治天皇」と「貞観政要」とが、自然と繋がってゆくという驚きが読後感としてありました。ここから、ドナルド・キーン著「明治天皇」を読んでみたいと思っているのですが、私にひとつ心配なのが、積読という言葉(笑)。
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昭憲皇太后歌集。

2008-06-14 | Weblog
ドナルド・キーン氏の言葉に誘われて、「昭憲皇太后歌集」を古本で購入してみました(ネットでも十分読めるのですけれど)。大正13年の本なので、シミあり、古い感じ(500円じゃしかたないか)は否めませんが、歌は私に新鮮な息吹を感じさせてくれました。

ということで、すこし引用しておきましょう。

 「読書言志」とありまして

  夜ひかる玉も何せむ身をてらすふみこそ人の宝なりけれ

脇には、毎回ではないのですが、編者による説明もつけてあります。
「夜ひかる玉 金剛石。 貴重品として人の喜ぶ金剛石も身には何ぞ益すべき書籍こそ人の身に眞の光を添ふるものなれば宝なれど読書の尊さを示し玉へるなり。」

季節ごとの歌がわけてありますので「夏の部」からも引用しておきます。

 夏草のしげみがなかに交れどもなほしなたかし姫百合の花

    (しなたかし  : 品位が高い )

 何れをかまことの色と定むべき日ごとにかはるあぢさゐの花


 
 夕立の露ふきはらふ松風におちくる蝉のこゑのすずしさ


 人ごゑも聞えぬほどの夕立に大路も川となりにけるかな


 蝉のこゑあつくきこえし松陰もすずみどころとなるゆふべかな


 
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