和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

いざ半七捕物帳。

2008-06-29 | Weblog
私は本を読んでいる時よりも、どうも本を読みたいと思っている時の方が、好きです。というのも、読んでも長続きしない飽きっぽい性格がわざわいしているようです。ですから、読む前のワクワクする気分が、私にとっての醍醐味。それは、旅行の予定を地図を見ながら、あれこれと考えている時間の楽しみ。実際に、旅行中は、日程をこなすのに、おおわらわの状態(笑)。ひどい時は、旅行中時間に追われて、見るものも見ずに通り過ぎる状態。まして、旅行日程を繰り上げて、端折って帰ってくるみじめさ。比べて、旅行予定を考えている時の至福の時間。これは何物にも代えがたいのでした。

ということで、いま読書旅行計画中なのが、題しまして「いざ半七捕物帳」。小説はまるっきり駄目で、すぐに数頁で投げ出す前科を重ねている私ですが、今回は、じっくりとまわり道しながら、外堀を埋めてゆきます。

まずは、渡部昇一氏の言葉。
とりあえず、「人生後半に読むべき本」(PHP研究所)に、こうあります。

「学校で習ったような作家の書いた『文壇中の小説』は、歳を取って読んでみるとえてしてつまらないことが多い。まあ、改めて読んでみて、つまらなさを実験するのも一興ではありますが(笑)。一方、下の下だった捕物帖でも、『半七捕物帳』などは今でも読むに耐えるものです。時代小説の江戸情緒がいいなあと、私がつくづく思ったのは中学三年で学徒勤労動員に出た時分でした。最上川の堤防工事を泊まり込みでやった。たまの休みに一日か二日、家に帰る。田舎だから、母親がぼた餅なんかを作ってくれる。そのときに昼間からぼた餅を食い、布団に入って『銭形平次捕物控』を読んだ。今は銭形平次など拵え物で読めないと思うのですが、アメリカの艦載機が飛ぶ下で江戸情緒を読むことは何ともいえない甘美な逃避でした。」(p102)


さて、渡部氏が学徒勤労動員で読んでいたという銭形平次捕物控の作者は野村胡堂。胡堂のエッセイが面白い。「胡堂百話」(中公文庫・古本)は面白かったなあ。ということで古本で「銭形平次捕物全集 別巻」というのを買ってみたことがあります。
そしたら、今引用した渡部昇一の言葉に共鳴するような言葉がひろえるのでした。

「『時』ほどそう明なものはありません。その当時大したエライ人とも思はない先生が、後で考へると得難い良師だつたり、その当時、非常に愉快な先生と信じた人が、今日から考へると、一向つまらに人だつたりすることも少なくありません。」(p68)

では、胡堂が語る岡本綺堂を、この機会に紹介。

「岡本綺堂の『半七捕物帳』は、綺堂先生が風邪か何んかで臥せっていた時、退屈のあまり、江戸名所図会をひもといて、フトこれを舞台に、江戸末期の風物詩的な捕物を書いて見ようと思い付いたということである。『半七捕物帳』の出発が明かになると、あの全篇に沁み出る、江戸情緒の面白さの由来も呑込めるような気がしてならない。」(p146)

うんうん。この調子で引用していきましょう。
あとp165の白石潔・江戸川乱歩。p167の吉田茂のことは、ここでは煩瑣になるのでカットして次に行きます。

「コナン・ドイルはその自叙伝のうちに、『私がもしシャーロック・ホームスなどいうものを書かなかったら、文壇的にはもっと高い地位をかち獲たことであろう』というようなことを言っている。コナン・ドイルとしては当然の述懐で、まことに同情に堪えないが日本の愛読者なる我々に取っては、シャーロック・ホームス無しにコナン・ドイルの存在は考えられず、ホームスを書かないドイルなどは、先づどうでも宜しように思うのが一般人の常識であろう。・・・『半七捕物帳』に描かれた江戸の風物とあの詩情と、それに一脈のほの温かい人情味は、大衆読物の神髄に徹するものだ・・・」(p169)

そして、こうも胡堂は書いておりました。

「私の先生は、生前一度もお目に掛ったことの無い岡本綺堂先生であったと言って宜しい、私の『銭形平次捕物控』は、『半七捕物帳』に刺激されて書いたもので、私は筆が行き詰ると、今でも『半七捕物帳』を出して何処ともなく読んでいる。『半七捕物帳』は探偵小説としては淡いものだが、江戸時代のの情緒を描いていったあの背景は素晴らしく、芸術品としても、かなり高いものだと信じている。」(p173)


さあて、「いざ半七捕物帳」と題した読書旅行計画表には、これは、というもう一人ぐらい背中を押してくれる人を捜したいですね。そうそう、人数は多いにこしたことはありませんからね。ということで、「近代日本の百冊を選ぶ」(講談社・古本)を開いてみると、瀬戸川猛資氏が1ページほど紹介文を書いているのでした。
これが素晴らしい。引用。引用。


「岡本綺堂は本名を岡本敬二といい、明治五年、東京の高輪に生れた。父の敬之助は百二十石取りの幕府御家人だったが、維新後は英国公使館の書記となった人である。敬二少年はこの父から漢詩や芝居を、公使館のイギリス人留学生たちから英語を学びながら育ったという。日本的伝統美の世界への親しみと西欧の知に対する興味。少年期に形成された両者のバランスの上に、岡本綺堂の文学は成立している。『半七捕物帳』は、そのもっとも色あざやかな精華といえるだろう。大正六年に雑誌〈文芸倶楽部〉に発表された第一話『お文の魂』に、半七は《江戸時代に於ける隠れたシャアロック・ホームズ》として登場する。大正六年は西暦1917年で、コナン・ドイルが現役作家としてホームズ譚を盛んに書いていたころ。それを綺堂は原書で読み、短編連作ミステリーを捕物帳という形式で日本に移植しようと試みたのだった。その際に考え出した趣向がすばらしい。明治二十年代の末、新聞記者の『わたし』が神田三河町で岡っ引をしていた七十すぎの半七老人の話を聞く、という構成にして《江戸の昔がたり》の側面を強調したのである。
知的で論理性ゆたかな短編ミステリーの器に盛られた、古き良き江戸の風物詩。この混淆具合の絶妙さゆえに、『半七捕物帳』は、現在読んでも少しも古さを感じさせない。その後に続出した他の捕物帳と比べても一頭地をぬきんでた高みにあり、日本大衆文芸史上の秀峰として屹立している。・・・」


さて、読書旅行計画案の素案は出揃ったのですが、あとひとつは、怠惰な読者である、私をいかにして引っ張り出すか。これが一番の関門。
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