和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

どんな小説より。

2008-06-06 | Weblog
産経新聞の文化欄に連載されているコラム『断』は楽しみに読んでおります。
署名コラムでかわり番に、書き継がれております。2008年6月1日は文芸評論家・富岡幸一郎氏。はじまりはこうでした。「4月に本欄でチベット人の蜂起について書いた。中国の半世紀にもわたる『文化的虐殺』であり、日本の宗教界の反応の鈍さにも触れた」。そしておもむろに「気になったのは、いわゆる文芸誌がほとんど無反応であることだ。・・・・文芸誌としては『新潮』『文学界』『群像』『すばる』という大手出版社の伝統ある月刊誌が、今も健在である。・・・論壇誌や総合誌との棲み分けはあるにせよ、今回のチベット問題のように文化・宗教・言葉に深く関わった出来事にもっと鋭敏に反応してもよいのではないのか。」
さらに、最後はこうしめくくっておりました。
「同じく3月に大阪地裁で判決のあった大江健三郎の『沖縄ノート』の記述をめぐる問題なども、論壇誌は取り上げたが、文芸誌は頬かぶりしている。この裁判は過度に『政治』的に報道されているが、同時に文学者の『言葉』の問題でもある。『政治と文学』の季節が過ぎ去ったにせよ、文芸誌こそが果敢に『参加』すべきなのではないか。」


たまたまドナルド・キーン著「明治天皇を語る」(新潮新書)をひらいたら、はじめにこうありました。

「『明治天皇のことを書こうと決心した』と人に話すと、多くの人たちは大変驚きました。専門は日本文学なのに、どうして歴史を書くのか、まったく違う世界のものじゃないのか。そう思われたのです。ですが、私自身はもともと歴史と文学はそれほど違うものだとは考えていません。すぐれた歴史の本は、どんな小説よりも面白い。」
「ためしに私は、当時の『エンサイクロペディア・ブリタニカ』を開いてみました。明治天皇のために割かれていたのは、驚くべきことにわずか八行。三船敏郎の三十八行、三島由紀夫の七十九行に比べて、これは著しくバランスを欠いていると言うほかありません。そこで、私は思い切って明治天皇のことを書くことにしたのです。」



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする