和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

石井桃子さんが。

2008-06-09 | Weblog
書迷博客ブログで内藤濯著「未知の人への返書」を取り上げていたことがあって、気になっておりました。それでもって、古本で単行本のその本を買ってみました。
そこに関東大震災の際に、フランスにいた内藤濯氏のことが書かれておりまして、こんな箇所があります。

「故国の出来事が伝わりだしてからまだ三日にしかならないのに、もう十日も経ったような気がする。支那からの電報で、日本の本州がまるつぶれになって、その避難民が、続々上海へやってきているというのがある。つくり事だということが、すぐばれるのにと思う。」
戦後、チャイナは日本に支那という言葉を使うなといい。敗戦のドサクサで日本がそれを受けいれておりました。それをタテにしてあとでアアデモナイと、とどのつまりは、石井桃子訳「シナの五にんきょうだい」という絵本が絶版になってしまっているのでした。まことに残念。
 
ここから、石井桃子さんの話。
内藤濯氏のその本の最初は「『星の王子さま』とのめぐり合い」という題の文章からはじまっております。その書き出し箇所。

「もはや二十年近くも昔のことである。児童文学に堪能な石井桃子さんが、美しいフランス本を私のところにお持ちになった。英訳本で読んでみたのだが、ふつうの童話あつかいするわけにいかないほど秀れた作だと思うので、いま私の関係している書店で本にしてみたい、で、もしお気が向くようだったら、日本語訳を試みて下さらないか、とおっしゃる。おっしゃり方に、なみ大抵でない熱がこもっているのにひかされて、石井さんがお帰りになるとさっそく、ページを繰りはじめた。そして何よりもまず、短い序文の結びとなっている一句『おとなはだれもはじめは子供だった。しかし、そのことを忘れずにいる大人はいくらもない』というのにぶつかって、私はまったく身のすくむ思いがした。おとなの悪さを、やんわりと言っている志の高さに、頭があがらなかったからである。・・・・・正直のところ、私は石井桃子さんをとおして、はじめてこの作の存在を知った。そして・・まったく矢も楯もたまらず、昼となく夜となく、日本語化することを楽しんだ。というよりは、むしろ夢中になった。・・・フランス文学に首をつっ込んでもう六十なん年にもなるが、童心のいたいけさを取り扱ったこの小さな作のために、こうものぼせ返ることになろうとは、まったく思いもよらぬことだった。・・」

ちなみに内藤濯著「星の王子とわたし」(文春文庫)の「はしがき」は、この文を少し書きなおして、書いているようです。はじまりは「もはや二十三年ほどの昔のことである。」となっておりました。

内藤初穂著「星の王子の影とかたちと」(筑摩書房)に、この石井桃子さんとの経緯について、もう少し詳しく調べてあるのでした。

「本書の英語版を読んでその無類の内容に注目したのは、当時『岩波少年文庫』の編集顧問をされていた児童文学者の石井桃子さんである。父の没後二年に『ロングセラーの秘密』を連載した『山梨日日新聞』の取材に応えて、父の仕事になるまでの経緯をこう述べておられる。『あのときのことはよく覚えております。どんな本かしら、と思って読んでみましたら、最初の一行目からとても面白いんです。それで若い人に、読んでごらんなさい、ってすすめてみたんです。しばらくして、どう?と聞いたら、まだ面白いとこまで行ってない、っていうんですね。それならこの本は万人向けではないのかもしれないなあ、と思いましたけど、作者の物の考え方は、わかる人にはわかるんじゃないかなあ、文学というものはこういう風に個性的でなければいけないんだと思って、フランスから原本を取り寄せ、内藤さんに相談にうかがったのです』正確にいえば、石井さんは父に相談する前に、山内義雄先生に打診されている。マルタン・デュ・ガールの大作『チボー家の人々』を、14年がかりでみごとな訳本にされたばかりのところだったが、手渡された原本にざっと目を通すなり、首を大きくふられた。『この本の雰囲気は私の体質ではありません。この美しいリズムを訳文に活かせるのは、内藤先生のほかにはありません。なんといっても、この本は内藤先生のものです』かねがね父の持ち味を尊んでおられた山内先生は、惜しげもなく晩年の父に晴れの舞台を提供された。・・」(p13)


石井桃子さんが亡くなって週刊新潮の「墓碑銘」で、追悼文が載りました。
その文の最後には、こういう引用でしめくくられておりました。


「平成13年、石井さんはこんな言葉を書いていた。
【 子どもたちよ
  子ども時代を
  しっかりと
  たのしんでください。
  おとなになってから
  老人になってから
  あなたを支えてくれるのは
  子ども時代の『あなた』です  】      」

        (「週刊新潮」2008年4月17日号)
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