和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

岡本綺堂と地震。

2008-06-23 | 地震
岩波文庫に「岡本綺堂随筆集」が入っておりました。
最初に選ばれている文は「磯部の若葉」。こうはじまります。

「今日もまた無数の小猫の毛を吹いたような細かい雨が、磯部の若葉を音もなしに湿(ぬ)らしている。家々の湯の烟(けむり)も低く迷っている。疲れた人のような五月の空は、時々に薄く眼をあいて夏らしい光を微かに洩すかと思うと、またすぐに睡むそうにどんよりと暗くなる。鶏が勇ましく歌っても、雀がやかましく囀っても、上州の空は容易に夢から醒めそうもない。『どうも困ったお天気でございます。』・・・・」


ところで、この文庫に関東大震災のあとに書かれた「火に追われて」(p136~)という文を見つけました。そのはじまりは。

「なんだか頭がまだほんとうに落ちつかないので、まとまったことは書けそうもない。去年七十七歳で死んだわたしの母は、十歳の年に日本橋で安政の大地震に出逢ったそうで、子供の時からたびたびそのおそろしい昔話を聴かされた。それが幼い頭にしみ込んだせいか、わたしは今でも人一倍の地震ぎらいで、地震と風、この二つを最も恐れている。風が強く吹く日には仕事が出来ない。少し強い地震があると、またそのあとにゆり返しが来はしないかという予覚におびやかされて、やはりどうも落ちついていられない。・・・」

そして大正十二年九月一日。

「この朝は誰も知っている通り、二百十日前後に有勝(ありがち)の何となく穏かならない空模様で、驟雨がおりおり見舞って来た。広くもない家のなかは忌(いや)に蒸暑かった。二階の書斎には雨まじりの風が吹き込んで、硝子戸をゆする音がさわがしいので、わたしは雨戸をしめ切って下座敷の八畳に降りて・・・広谷君の帰る頃には雨もやんで、うす暗い雲の影は溶けるように消えて行った。茶の間で早い午飯をしているうちに、空は青々と高く晴れて、初秋の強い日のひかりが庭一面にさい込んで来た。どこかで蝉も鳴き出した。わたしは箸を措いて起った。天気が直ったらば、仕事場をいつもの書斎に変えようと思って、縁先へ出てまぶしい日を仰いだ。それから書きかけの原稿紙をつかんで、玄関の二畳から二階へ通っている階子段(はしごだん)を半分以上も昇りかけると、突然に大きい鳥が羽搏(はばた)きをすうような音がきこえた。わたしは大風が吹き出したのかと思った。その途端にわたしの踏んでいる階子がみりみりと鳴って動き出した。壁も襖も硝子窓も皆それぞれの音を立てて揺れはじめた。・・・」

こうして地震のはじまりが描かれておりました。
以下も興味深いのですが、それはそれで、またの機会がありましたなら(笑)。


追記。
あとで、分かったのですが、旺文社文庫「綺堂のむかし語り」に
引用したどちらも、掲載されておりました。
ただ、「火に追われて」は、旺文社文庫では「震災の記」と題して掲載されておりました。
コメント
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