和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

縦書き。横書き。

2009-05-30 | Weblog
自由社「日本人の歴史教科書」を開いてみました。
左側から、右へのページに、横書きの歴史教科書ははじまっております。
そうそう。学校の歴史教科書はそうでした。
この自由社の市販本には、もうひとつ
カバー右側から、左のページへと、縦書き文がはじまっております。
そして、両方あわせて、一冊にまとめてありました。
一冊の本に縦書きと横書きの頁がある。その境目から、
なんだか、付録の袋とじをめくるようにして、
歴史の幕を、あなたがあけるのですよ、
と語りかけてくるような。
そんな気分になれる一冊。

ところで、私は、縦書きの文を読んでみました。
「日本を読み解く15の視座」というのが縦書きです。

「15の視座」は15人の文が並んでおります。
それを、最初の1から読むのか。
それとも、15番目の最後から読むのか。
わたしは、最後から読みはじめました。
一人が、2ページの文なのです。

堤堯氏の「『戦力放棄』と戦後日本」が印象深い。
さっそく、古本屋へ
堤堯著「昭和の三傑  憲法九条は「救国のトリック」だった」を注文しました。これって、新刊本屋では手にはいらないようです。

うん。新刊本屋では、読めない歴史があるように、
50~60年たってからでしか、書き始められない現代史がある。
そんなスタンスを、あらためて学ばせていただきました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四十、五十になって。

2009-05-30 | 幸田文
文庫の新刊で、青木玉対談集「記憶の中の幸田一族」 講談社文庫 が出たようです。

これ、1997年に小沢書店から出版された
青木玉対談集「祖父のこと 母のこと」の文庫化。
いぜんの、小沢書店の単行本は、装画・堀文子でとてもステキな本です。
なかには、その堀文子氏との対談も載っております。
そこでは、堀さんは、青木玉さんへこう語っておりました。

「あなた様の書かれた『小石川の家』を拝読して、実は私、
一頁ごとに飛び上がりそうになりました。私自身の子供時代とオーパーラップして、叫びたくなるような思いでした。」

ちなみに、堀文子は1918年生まれ。
そうして、青木玉は1929年生まれ。
どちらも、東京に生まれてます。

いぜんの、小沢書店の本の装丁が、とても味わいがあったので、
ここでは、堀文子氏の話を、丁寧に取り上げておきます。

「私は父親に『わしの云うことはおまえが四十、五十になってわかることなのだから、黙って聞け』などと頭ごなしに言われて、なんて嫌な家だろうと思ったものです。それがだんだん齢を取ってくると、本当にわかってくるから不思議。」

「いざというときの強さにつながる。それこそが昔の厳しい躾が持つ、真の意味かも知れませんね。」

もう少し引用しましょ。幸田文を語っている箇所です。

【青木】ええ、周りにいる人間の面倒ばかり見続けた人です。そして祖父を見送って、見なければいけない人がいなくなったときに物書きになった。
【堀】それが、四十四歳。あの時代の女は、自分のためには中々生きれらませんでした。でも人に尽くし忍びながらも、全てが終わったら自分の好きなことをするという、残り時間を待っていたんです。どんなに自分を捧げても大丈夫なだけ自分を鍛えていたように思います。
【青木】母は自分自身、物書きになるなんて思ってもみなかったと思います。


その思ってもみなかった人の、書きものを私たちは読める幸せ。
そして、それにまつわる対談を読める幸せ。
というのが、あるんですね。
四十、五十になると。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする