桑原武夫と幸田文とは、ともに1904年生まれなのですね。
ということで、お二人を結びつけて見たくなりました。
ここでは、上方弁と東京っ子言葉という視点で。
まずは、桑原武夫・司馬遼太郎対談から
「『人工日本語』の功罪について」と題された対談で、
司馬遼太郎は、こう語っておりました。
「・・いまの発言は、わたしが多年桑原先生を観察していての結論なのです(笑)。
大変に即物的で恐れいりますが、先生は問題を論じていかれるのには標準語をお使いになる。が、問題が非常に微妙なところに来たり、ご自分の論理が次の結論にまで到達しない場合、急に開きなおって、それでやなあ、そうなりまっせ、と上方弁を使われる(笑)。
あれは何やろかと・・・・。」
これに対して、私は、村松友視著「幸田文のマッチ箱」(河出文庫)の
第九章「語り口と文体」のおわりの方にある言葉を、重ねてみたいのです。
「幸田文が文机の前に坐り、原稿用紙の上を走らせている鉛筆を止め、ふと宙をにらんでいる貌・・・それは、ひとつの文章の流れの中に書き表すべき、次の言葉を宙から引っぱり出そうとしている貌だ。あれこれ思い浮かぶ言葉は、いずれも的の芯を射ていないような気がする。幸田文はその的の芯を射る言葉を、じっと待って、時の経過を忘れる人ではなさそうだ。そんなとき、幸田文はえい! と気合をかけて、もうひとつの抽出(ひきだし)を開けその中にうごめく江戸語の余韻をもつ東京っ子言葉のひとつをつまみ出す。そして空白にそれをポンと置いてみる。そうやってから、前後の文章を整え直す。そのようにして、幸田文流の文章と喋り言葉の結合というスタイルが紡ぎ出されていったのではなかろうか。・・・・」(p193~194)
さてっと、最後は桑原武夫氏に登場ねがいましょう。
桑原武夫対談集「日本語考」(潮出版社)には、各対談のはじめに、桑原氏による簡単なコメントが付けてあるのでした。先に引用した司馬さんとの対談には、どういうコメントがはいっていたか。それを引用しておきます。
「自然言語から文明言語に移るときに失われてしまうもののあることは否定できないが、この移行は歴史的に不可避なものである。そのさい混乱を少なくし能率をあげるために、人工的規制を加えることが多くの滑稽さを生むことは事実である。文学者ないし文筆にたずさわる者の任務は、機能化されたことばの組合せの中に、人間自然の美しさをどのようにして生かすかを工夫するところにある。」
う~ん。これだけじゃ、あまりにそっけないかなあ。
もうすこし、司馬さんの対談中の言葉を引用してみます。
「・・まあ、標準語で話すと感情のディテールが表現できない。ですから標準語で話をする人が、そらぞらしく見えてしょうない(笑)。あの人はああいうことをいってるが、嘘じゃないか(笑)。東京にも下町言葉というちゃんとした感情表現力のあることばがありますが、新標準語一点張りで生活をしている場合、問題が起きますね。
話し言葉は自分の感情のニュアンスを表わすべきものなのに、標準語では論理性だけが厳しい。ですから、生きるとか死ぬとかの問題に直面すると死ぬほうを選ばざるを得ない。生きるということは、非常に猥雑な現実との妥協ですし、そして猥雑な現実のほうが、人生にとって大事だし厳然たるリアリティをふくんでいて、大切だろうと思うのですが、しかし純理論的に生きるか死ぬかをつきつめた場合、妙なことに死ぬほうが正しいということになる。【そんなアホなこと】とはおもわない。生か死かを土語、例えば東北弁で考えていれば、論理的にはアイマイですが、感情的には『女房子がいるべしや』とかなんかで済んでしまう。なにが済むのかわからないけど(笑)。」
【そんなアホなこと】といえば、
最近出た平凡社の「幸田文しつけ帖」「幸田文台所帖」を読んでいると
(これは、小説よりも随筆を中心に編まれたアンソロジーとなっております)、
露伴と文との親子のやりとりが随筆中に再現されているのでした。さすがに
「そんなアホな」いうのは出てきませんが、「馬鹿」というのは、もう潤滑油のようにして出て来る言葉なのでした。
ということで、お二人を結びつけて見たくなりました。
ここでは、上方弁と東京っ子言葉という視点で。
まずは、桑原武夫・司馬遼太郎対談から
「『人工日本語』の功罪について」と題された対談で、
司馬遼太郎は、こう語っておりました。
「・・いまの発言は、わたしが多年桑原先生を観察していての結論なのです(笑)。
大変に即物的で恐れいりますが、先生は問題を論じていかれるのには標準語をお使いになる。が、問題が非常に微妙なところに来たり、ご自分の論理が次の結論にまで到達しない場合、急に開きなおって、それでやなあ、そうなりまっせ、と上方弁を使われる(笑)。
あれは何やろかと・・・・。」
これに対して、私は、村松友視著「幸田文のマッチ箱」(河出文庫)の
第九章「語り口と文体」のおわりの方にある言葉を、重ねてみたいのです。
「幸田文が文机の前に坐り、原稿用紙の上を走らせている鉛筆を止め、ふと宙をにらんでいる貌・・・それは、ひとつの文章の流れの中に書き表すべき、次の言葉を宙から引っぱり出そうとしている貌だ。あれこれ思い浮かぶ言葉は、いずれも的の芯を射ていないような気がする。幸田文はその的の芯を射る言葉を、じっと待って、時の経過を忘れる人ではなさそうだ。そんなとき、幸田文はえい! と気合をかけて、もうひとつの抽出(ひきだし)を開けその中にうごめく江戸語の余韻をもつ東京っ子言葉のひとつをつまみ出す。そして空白にそれをポンと置いてみる。そうやってから、前後の文章を整え直す。そのようにして、幸田文流の文章と喋り言葉の結合というスタイルが紡ぎ出されていったのではなかろうか。・・・・」(p193~194)
さてっと、最後は桑原武夫氏に登場ねがいましょう。
桑原武夫対談集「日本語考」(潮出版社)には、各対談のはじめに、桑原氏による簡単なコメントが付けてあるのでした。先に引用した司馬さんとの対談には、どういうコメントがはいっていたか。それを引用しておきます。
「自然言語から文明言語に移るときに失われてしまうもののあることは否定できないが、この移行は歴史的に不可避なものである。そのさい混乱を少なくし能率をあげるために、人工的規制を加えることが多くの滑稽さを生むことは事実である。文学者ないし文筆にたずさわる者の任務は、機能化されたことばの組合せの中に、人間自然の美しさをどのようにして生かすかを工夫するところにある。」
う~ん。これだけじゃ、あまりにそっけないかなあ。
もうすこし、司馬さんの対談中の言葉を引用してみます。
「・・まあ、標準語で話すと感情のディテールが表現できない。ですから標準語で話をする人が、そらぞらしく見えてしょうない(笑)。あの人はああいうことをいってるが、嘘じゃないか(笑)。東京にも下町言葉というちゃんとした感情表現力のあることばがありますが、新標準語一点張りで生活をしている場合、問題が起きますね。
話し言葉は自分の感情のニュアンスを表わすべきものなのに、標準語では論理性だけが厳しい。ですから、生きるとか死ぬとかの問題に直面すると死ぬほうを選ばざるを得ない。生きるということは、非常に猥雑な現実との妥協ですし、そして猥雑な現実のほうが、人生にとって大事だし厳然たるリアリティをふくんでいて、大切だろうと思うのですが、しかし純理論的に生きるか死ぬかをつきつめた場合、妙なことに死ぬほうが正しいということになる。【そんなアホなこと】とはおもわない。生か死かを土語、例えば東北弁で考えていれば、論理的にはアイマイですが、感情的には『女房子がいるべしや』とかなんかで済んでしまう。なにが済むのかわからないけど(笑)。」
【そんなアホなこと】といえば、
最近出た平凡社の「幸田文しつけ帖」「幸田文台所帖」を読んでいると
(これは、小説よりも随筆を中心に編まれたアンソロジーとなっております)、
露伴と文との親子のやりとりが随筆中に再現されているのでした。さすがに
「そんなアホな」いうのは出てきませんが、「馬鹿」というのは、もう潤滑油のようにして出て来る言葉なのでした。