思い出して、山本伊吾著「夏彦の影法師」(新潮社・単行本)をひっくりかえしておりました。そこに清水幾太郎氏が出て来る箇所があります。
p103
「 昭和49年3月30日 <清水幾太郎研究室、談話2時間余>
父は、「室内」の新人には必ず清水さんの『私の文章作法』という本を読ませたそうだ。『実にきれいな東京弁』だと、東京生れ、東京育ちの父は、再三コラムに書いている。」
p112~113
「昭和53年
2月4日<2―5時赤坂ざくろ。清水幾太郎氏と対談。大成功>
父が新入社員に清水さんの著書『私の文章作法』を読ませるという話はすでに書いたが、この時の対談のテーマは、当時、清水さんが新聞、雑誌に何度も書いていた地震の話。題して『誰も聞いてくれない地震の話』。同席した『室内』の女性編集者によれば、『いつもの山本さんではなく、とっても緊張してらっしゃいました。清水さんが士族の家に生れたことや、子供の頃に寄席が好きだったこと、関東大震災の話などに及んでから、すごく盛り上がって、最後のほうは、お二人とも楽しそうでした』 」
なぜ、こうして、もう古本でしか探せない本の内容を紹介しているかといいますと、ここに紹介されている対談が、なんとも有難いことに、新刊として読めるようになったのです。それが、山本夏彦対談集「浮き世のことは笑うよりほかなし」(講談社)2009年3月26日第一刷とあります。う~ん。この対談が読めるとは思わずニヤリ。
そうそう。清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)の解説は<狐>でした。
その解説も、地震のことに触れており、一読忘れ難い。
p103
「 昭和49年3月30日 <清水幾太郎研究室、談話2時間余>
父は、「室内」の新人には必ず清水さんの『私の文章作法』という本を読ませたそうだ。『実にきれいな東京弁』だと、東京生れ、東京育ちの父は、再三コラムに書いている。」
p112~113
「昭和53年
2月4日<2―5時赤坂ざくろ。清水幾太郎氏と対談。大成功>
父が新入社員に清水さんの著書『私の文章作法』を読ませるという話はすでに書いたが、この時の対談のテーマは、当時、清水さんが新聞、雑誌に何度も書いていた地震の話。題して『誰も聞いてくれない地震の話』。同席した『室内』の女性編集者によれば、『いつもの山本さんではなく、とっても緊張してらっしゃいました。清水さんが士族の家に生れたことや、子供の頃に寄席が好きだったこと、関東大震災の話などに及んでから、すごく盛り上がって、最後のほうは、お二人とも楽しそうでした』 」
なぜ、こうして、もう古本でしか探せない本の内容を紹介しているかといいますと、ここに紹介されている対談が、なんとも有難いことに、新刊として読めるようになったのです。それが、山本夏彦対談集「浮き世のことは笑うよりほかなし」(講談社)2009年3月26日第一刷とあります。う~ん。この対談が読めるとは思わずニヤリ。
そうそう。清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)の解説は<狐>でした。
その解説も、地震のことに触れており、一読忘れ難い。