和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

喉元すぎてから。

2009-05-27 | Weblog
徳岡孝夫著「『民主主義』を疑え!」(新潮社)をパラパラとめくっております。
雑誌掲載文(2003年8月~2007年10月)をまとめた一冊。
読んでいると、見過ごしていたり、何も考えずに通り越していた事件がもう一度、反芻されてくる手ごたえがあります。
そう。喉元過ぎてから反芻する大切さが思われます。

まず「はじめに――ジャーナリズムとは?」は、こういう書き出し。
「学校を出る。男だから職を見つけ、食うものを稼がなければならない。文学部の学生控室に新聞社の求人票が出ていた。履歴書を書いて入社試験を受けたが、落ちた。」とはじまる5ページが、そのままに徳岡氏のいままでの履歴書となっております。う~ん。これを紹介してると長くなるので惜しいけれど省略(笑)。

7章にわかれており、各章ごとに巻頭言があるので、それを読むだけでも楽しめます。う~ん。ここでは「喉元過ぎれば」ということで、気になる箇所をピックアップ。

まずは、こんな箇所。
「中国で行われたサッカーのアジア・カップ(2004年)での日本チームへの激しいブーイング。私はべつに驚かなかった。なぜなら、あらゆるスポーツは、多少なりとも観客に正気を失わせるからである。・・・しかし日本国歌の吹奏にブーイングし、手製の日の丸を燃やすのは、やめてもらいたかった。粗末な指導者に導かれる粗末な13億人が何を叫ぼうと勝手だが、せめて記憶力は持ってほしい。それとも彼らの歴史教科書には昭和33年の『長崎国旗事件』は載っていないのか?
長崎のデパートで開かれた中国切手の展示会に一人の反共青年が来て、中国国旗をひきずり下ろした。中国政府はそれを国家への侮辱だと怒り、以後20年間繰り返し日本政府に謝罪を求めた。北京、重慶などでの日本の国旗と国歌への侮辱を、報道官の『遺憾』で済ますつもりか?瀋陽の日本総領事館構内に踏み込んで脱北者を連行した行為(主権侵犯)も、まだ謝っていないんだよ。」

「かつて岸信介首相は、反米・反岸デモで日本は革命前夜の様相だがどう思うかと問われ、『だが後楽園球場はきょうも満員だ』と答え、かえって叩かれた。ジャーナリズムは騒乱・混沌を愛し、無事平穏を憎む。また、図星をさされると逆上する。」(p113)
これに続く文も引用しておきます。
「2005年1月31日は、イラク国民議会の選挙が日本の新聞に出る日だった。某紙は一面トップに『投票妨害テロ相次ぐ』『イラク議会選、厳戒態勢下で実施』の大見出しを掲げ、記事の全文にも『スンニ派勢力のボイコット宣言で正当性に疑問が残った』と書いた。人命はよほど大切らしく、これはエジプトのカイロという安全地帯で書いたイラク報告だった。騒然たる選挙を期待して書いている。ところが記事に添えた写真は、危険な現地でロイターが撮ったもので、なるほど一人の武装兵が見張っている。しかしチャドルをかぶった女性数人を含む投票者の列は延々と伸び、最後尾ははるかかなたに霞んでいる。近頃の日本では見たことのない、有権者の国政参加への熱意を示す証拠写真。・・・・
激しい対立は、あらゆる民主主義国にある。ないのは中国や北朝鮮など、選挙のない独裁国家だけである。米軍駐留がそんなに悪いか?米軍駐留下に英語から訳した日本国憲法を、60年も後生大事に一字も変えず『堅持』してきたのは、どこの国の誰だ。・・・『ニューヨーク・タイムズ』の社説は、明らかに日本の某紙とは異なっていた。『勇敢なイラク人たちは最も楽観的な予測をも超える人数が票を投じた。長い間、沈黙を保ってきた平均的なイラク国民の多数派が殺人の脅威をも排して、新しい民主的な秩序への票を投じたのだ』『本紙はブッシュ政権のイラク政策を批判してきたが、今回は民主的選挙の成功を他の米国民とともに、心から喜びたい』(「産経新聞」2005年2月2日付から)日本の論説委員とアメリカの論説委員と、あなたはどちらと友達になりたいか?」

ここまで、引用してくると、もうすこし続けたくなります。

「なるほど選挙の当日も、30人以上のイラク人がテロに斃れた。だが数百万枚の投票用紙を刷り、数千の記入台を組み立て、米軍・イラク文など30万が厳戒し、あとは有権者が来てくれるかどうかだけだったのだ。そこへ長蛇の列が来た。あのファルージャでさえ、手に手に投票用紙を持った人が並んだ。2004年11月の米軍の徹底的な掃討作戦まで、スンニ・トライアングルの牢固たる一角だったファルージャである。投票を済ませた者はみな、右手の人差し指に青いインクでシルシを付けてもらう。誇らしげに指を示しながら、人々は投票所から出てきた。投票率60パーセント前後だそうだ。」

うん。テロに30人以上が斃れながらの投票率60パーセントとは、恥ずかしながら私は、いままで知りませんでした。
選挙といえば、2004年の台湾での総統選にからめて、こう徳岡氏は書いておりました。
「だいたいシナ人には選挙が似合わないと、私はかねがね思っている。台湾は、まだしも選挙して投票箱の中身を数えた。大陸に住む13億人は、四千年の昔からマトモな投票をしたことがない。北京で全国人民代表大会が開かれると、NHKは毎回忘れずに『日本の国会に当たります』と言う。私はテレビの前で、独り『ウソつけ』と呟く。野党の存在を許さず、一般投票の結果を数えて当落を決める手続きをむまえない立法府は、日本の国会に当たるわけがない。」(p122)

うん、ここまで。
「喉元すぎた」事件が並んでいるのですが、繰り返し味わうに足る文章であります。
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