幸田文に「流れる」と題する作品があります。
山本夏彦著「最後のひと」というのは、
「諸君!」に連載された時の原題が「流れる」だったそうです。
ということで、「流れる」ということの連想。
橋本敏男著「幸田家のしつけ」(平凡社新書)に
「生母が亡くなった後のまだ幼いころ、隅田川が氾濫したため、向島の家を離れて小石川の叔母の家に一時預けられたときのこと、おばあさんに銭湯へ連れられて行った。初めての経験ではしゃいだ気持ちでつっ立っていると、おばあさんに『女の子がお臍もまる出しにしてぺろんとつっ立っているとは何というざまだ』といわれた。そして足の裏を洗うさまが醜いともたしなめられた。これは文にとって忘れられないことらしく、後年女学校時代に友だちにそれとなく尋ねてみると、体を洗う【しつけ】に特別な記憶など持っている者はいなかった。だから文はこういうのである。
からだを洗うなどという一些事は、
毎日の流れのうちにおのずからにして
親から子へ受け渡されるはずの、
ことさらならぬものであるらしい。
(「みそっかす」所収「でみず」)
早く生母を亡くしたため、女親の暮らしの様子を目にする機会を逃した文らしい【発見】であり、自覚であった。」(p111~112)
ここには、「毎日の流れのうちに」とありました。
こんな変な連想なら、ほかにもあります。
清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)に「時間の流れ」という箇所がある。
「生意気な言い方で恐縮ですが、過去のいろいろな事柄の意味がただ心に浮ぶだけでは駄目なのです。心に浮ぶぐらいのことは、誰でも、毎日のようにあることです。・・・昔の哲学者は『意識の流れ』ということを申しました。それが実在というものかも知れません。しかし、悲しいかな、凡俗の私たちは、この流れに浮ぶ数々のものを受身の態度で眺めているだけでは、それは私たち自身の身につかず、どこかへ消えて行ってしまうのです。その時は生命を賭けた事柄でありながら、月日の経つにつれて、いつか磨滅してしまうものです。それを繋ぎとめて、われとわが心に、二度と消えないように刻みつけるには、どうしても、これを文章として書かねばなりません。・・・」(p186)
そういえば、「心の浮かぶ」といえば、山本夏彦著「最後のひと」(文芸春秋・単行本)に、こんな気になる箇所があります。
「露伴は希代の物識りだが教え方は下手である。知っていることなら教えられると思うのは誤りである。文はそのことをだんだん知るようになった。算術でも読方でも父の知らないことは一つもない。上級になって地理に朝鮮を教えられ明太(みんたい)という魚が採れると聞き、そのアルコール漬を見て珍しく帰って話すと父は見たように形も色も知っていた。その上朝鮮の色々な魚の話なんぞうんとこさと話してくれて実に嬉しかった。父の話はそれからそれへとひろがって、聞いているうちはよく分かったような気がするけれど、おしまいになったときは何が何だか要点がつかめない。はなはだ迷惑な教授ぶりだった。女学生になって図々しくなってからは、途中で口をはさむと怒るから終りまで聞いて、結局どういうことなのと問う。そのときは父のほうも何の話だか分からなくなっていて『おれは知らないよ』と言いだす始末である。」(p183)
このあと、山本夏彦氏は、こう指摘しておりました。
「明治41年というからまだ幾美が健在のころ露伴は請われて京都大学で教えたことがあるが、一年で東京へ帰っている。なぜ帰ったか分るような気がする。露伴の講義は言葉が言葉を刺激してどこへ行くのか生徒に分らないのはともかく、自分でも分らないと気がついたのではないか。」(p184)
ということで、山本夏彦著「最後のひと」の内容は、あちらこちらへとうつりながら、流れて書きすすめれられゆくのでした。
何とも「流れる」というのは、やっかいそうです。
そういえば、方丈記は、どう始まっていましたっけ。
「ゆく河の流れは、絶えずして、しかももとの水にあらず。澱みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、ひさしく留まりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし。」
うん。幸田文と「水」というのも、興味深いテーマであります。
山本夏彦著「最後のひと」というのは、
「諸君!」に連載された時の原題が「流れる」だったそうです。
ということで、「流れる」ということの連想。
橋本敏男著「幸田家のしつけ」(平凡社新書)に
「生母が亡くなった後のまだ幼いころ、隅田川が氾濫したため、向島の家を離れて小石川の叔母の家に一時預けられたときのこと、おばあさんに銭湯へ連れられて行った。初めての経験ではしゃいだ気持ちでつっ立っていると、おばあさんに『女の子がお臍もまる出しにしてぺろんとつっ立っているとは何というざまだ』といわれた。そして足の裏を洗うさまが醜いともたしなめられた。これは文にとって忘れられないことらしく、後年女学校時代に友だちにそれとなく尋ねてみると、体を洗う【しつけ】に特別な記憶など持っている者はいなかった。だから文はこういうのである。
からだを洗うなどという一些事は、
毎日の流れのうちにおのずからにして
親から子へ受け渡されるはずの、
ことさらならぬものであるらしい。
(「みそっかす」所収「でみず」)
早く生母を亡くしたため、女親の暮らしの様子を目にする機会を逃した文らしい【発見】であり、自覚であった。」(p111~112)
ここには、「毎日の流れのうちに」とありました。
こんな変な連想なら、ほかにもあります。
清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)に「時間の流れ」という箇所がある。
「生意気な言い方で恐縮ですが、過去のいろいろな事柄の意味がただ心に浮ぶだけでは駄目なのです。心に浮ぶぐらいのことは、誰でも、毎日のようにあることです。・・・昔の哲学者は『意識の流れ』ということを申しました。それが実在というものかも知れません。しかし、悲しいかな、凡俗の私たちは、この流れに浮ぶ数々のものを受身の態度で眺めているだけでは、それは私たち自身の身につかず、どこかへ消えて行ってしまうのです。その時は生命を賭けた事柄でありながら、月日の経つにつれて、いつか磨滅してしまうものです。それを繋ぎとめて、われとわが心に、二度と消えないように刻みつけるには、どうしても、これを文章として書かねばなりません。・・・」(p186)
そういえば、「心の浮かぶ」といえば、山本夏彦著「最後のひと」(文芸春秋・単行本)に、こんな気になる箇所があります。
「露伴は希代の物識りだが教え方は下手である。知っていることなら教えられると思うのは誤りである。文はそのことをだんだん知るようになった。算術でも読方でも父の知らないことは一つもない。上級になって地理に朝鮮を教えられ明太(みんたい)という魚が採れると聞き、そのアルコール漬を見て珍しく帰って話すと父は見たように形も色も知っていた。その上朝鮮の色々な魚の話なんぞうんとこさと話してくれて実に嬉しかった。父の話はそれからそれへとひろがって、聞いているうちはよく分かったような気がするけれど、おしまいになったときは何が何だか要点がつかめない。はなはだ迷惑な教授ぶりだった。女学生になって図々しくなってからは、途中で口をはさむと怒るから終りまで聞いて、結局どういうことなのと問う。そのときは父のほうも何の話だか分からなくなっていて『おれは知らないよ』と言いだす始末である。」(p183)
このあと、山本夏彦氏は、こう指摘しておりました。
「明治41年というからまだ幾美が健在のころ露伴は請われて京都大学で教えたことがあるが、一年で東京へ帰っている。なぜ帰ったか分るような気がする。露伴の講義は言葉が言葉を刺激してどこへ行くのか生徒に分らないのはともかく、自分でも分らないと気がついたのではないか。」(p184)
ということで、山本夏彦著「最後のひと」の内容は、あちらこちらへとうつりながら、流れて書きすすめれられゆくのでした。
何とも「流れる」というのは、やっかいそうです。
そういえば、方丈記は、どう始まっていましたっけ。
「ゆく河の流れは、絶えずして、しかももとの水にあらず。澱みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、ひさしく留まりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし。」
うん。幸田文と「水」というのも、興味深いテーマであります。