和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

この橋わたろ。

2009-05-17 | 幸田文
美智子著「橋をかける 子供時代の読書の思い出」が文春文庫にはいっておりました。皇后美智子さまのご本が文庫になった。

ここでは「橋」について思い浮かぶ数冊。

ドナルド・キーン著「日本文学のなかへ」(文藝春秋)
福音館書店「天の橋 地の橋」(「いまは昔 むかしは今」2)
などがちょいと思い浮かぶのですが、それはそれとして。

茶木滋さんの詩「このはし わたろ」

  このはし わたろ
  このかわこえて
  しらない ところへ
  いこうか よそか。

  むこうの ほうは
  ひろっぱ のはら
  とんとこ おうちが
  ちらほら みえる

  どこからきたか
  むくいぬ こいぬ
  ともだちいるのか
  わたっていった。


安藤鶴夫に「幸田文というひと」という文あり。
それは、「小説『流れる』が、新潮社の小説文庫版になった時、それに添えられた文章」を、短文のまずはじめに引用しておりました。

「小さいときから川を見てゐた。水は流れたがつて、とつとと走り下りてゐた。そのくせとまりたがりもして、たゆたひ、渋り、淀み、でもまた流れてゐた。川には橋がかかつてゐた。人は橋が川の流れの上にかけられてゐることなど頓着なく、平気で渡つて行つた。私もそうした。橋はなんでもない。なんでもないけれど橋へかかるとなぜか心はいつも一瞬ためらつて、川上川下、この岸あの岸と眺めるのだ。水は流れるし、橋は通じるし『流れる』と題したけれど、橋手前のあの、ふとためらふ心には強く惹かれてゐる。」

これを引用した安藤鶴夫は、この文を評して「短いが、どこからどこまで、なにからなにまで、幸田文というひと、そのものズバリの文章だと感心する。」として、次の話題にとりかかっていました。

う~ん。「橋をかける」の「橋」ということでは、以前どこかに書いたことがありました。捜して、読み直してみることにします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五感なのだった。

2009-05-17 | 幸田文
幸田文著「月の塵」(講談社)に「くさ笛」という11ページほどの文が載っております。私に面白いと思ったのは、こんな箇所でした。
「自分には五感があるとほっとし、五感だけしかないのだ、と握りしめるように大切に思った。しかしその五感は、しばしばたよりなくなる。身はぬれ紙のとりどころなき、という句があるときいたが、全く濡れ紙と同じに力なく手応えをみせぬ。そんなとき、何の本でもあれ、厚いしっかりした本の背をみたりすると、涙がでそうになるほど知識の力を恋う。・・・・」

そう。幸田文の五感というのが、私には気がかりなのでした。
幸田文の年譜をみてみれば、
明治43年(1910年)6歳
四月、母幾美が肺結核により死去。享年36歳。
秋、隅田川の洪水のため、弟とともに小石川伝通院脇の叔母・幸田延宅へ預けられる。

その二年後の明治45年・大正元年の五月に姉・歌がしょう紅熱により死去。

大正12年(1923年)19歳。
9月1日、向島の自宅で関東大震災に遇い。
炊き出しに加わる。千葉県四街道へ避難する。

その三年後の大正15年・昭和元年の11月に弟・成豊が死去。

そして、結婚離婚があり、
昭和20年(1945年)41歳。
3月10日、東京大空襲。疎開。

その二年後の昭和22年(1947年)43歳。
7月、父・露伴、死去。

さきほどの「くさ笛」から、露伴死去のその後を引用してみましょう。

「その後、乞われるままになんとなく書いた。材料はみな亡父のことだった。家庭の父としてのことしか書けないのだが、文章は行儀のわるい文章でも、材料に骨があるから助かっている、と叔父が心配して注意してくれた。そのうち材料が尽きてきた。想い出はあとから製造できない性質のものだから、尽きるのがあたり前だが、そうなってから、困った。そんなとき娘が辛辣な慰めをいってくれた。おじいちゃんは机に向いている後姿が不動にみえたが、母さんは落着かなくて、未熟ね、と。だがそのあとで、お金がとれるようになっても、母さんの生活態度が変らないのは、いいと思っている、と。その生活態度の一言で、ふっと気付いた。狭くほそい生活の中で、ただ一つ持ち続けてきたものがあるのを忘れていた。それは私の態度のうちの一つだった。自然を表を見て楽しみ、裏を見て怖れをもつというそれである。勉強も読書も得手でないものが、それをよく見ようとすれば、何をたよりにするかといえば、五感なのだった。五感を鋭くしていれば、植物も動物もなにかを示してくれたし、私はそれを心の肌理の粗さの養いにし、寛ぎにしてきた。これは原稿料や想い出のように減って失せるものではなかった。自分には五感があるとほっとし、五感だけしかないのだ、と握りしめるように大切に思った。・・・・」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする