美智子著「橋をかける 子供時代の読書の思い出」が文春文庫にはいっておりました。皇后美智子さまのご本が文庫になった。
ここでは「橋」について思い浮かぶ数冊。
ドナルド・キーン著「日本文学のなかへ」(文藝春秋)
福音館書店「天の橋 地の橋」(「いまは昔 むかしは今」2)
などがちょいと思い浮かぶのですが、それはそれとして。
茶木滋さんの詩「このはし わたろ」
このはし わたろ
このかわこえて
しらない ところへ
いこうか よそか。
むこうの ほうは
ひろっぱ のはら
とんとこ おうちが
ちらほら みえる
どこからきたか
むくいぬ こいぬ
ともだちいるのか
わたっていった。
安藤鶴夫に「幸田文というひと」という文あり。
それは、「小説『流れる』が、新潮社の小説文庫版になった時、それに添えられた文章」を、短文のまずはじめに引用しておりました。
「小さいときから川を見てゐた。水は流れたがつて、とつとと走り下りてゐた。そのくせとまりたがりもして、たゆたひ、渋り、淀み、でもまた流れてゐた。川には橋がかかつてゐた。人は橋が川の流れの上にかけられてゐることなど頓着なく、平気で渡つて行つた。私もそうした。橋はなんでもない。なんでもないけれど橋へかかるとなぜか心はいつも一瞬ためらつて、川上川下、この岸あの岸と眺めるのだ。水は流れるし、橋は通じるし『流れる』と題したけれど、橋手前のあの、ふとためらふ心には強く惹かれてゐる。」
これを引用した安藤鶴夫は、この文を評して「短いが、どこからどこまで、なにからなにまで、幸田文というひと、そのものズバリの文章だと感心する。」として、次の話題にとりかかっていました。
う~ん。「橋をかける」の「橋」ということでは、以前どこかに書いたことがありました。捜して、読み直してみることにします。
ここでは「橋」について思い浮かぶ数冊。
ドナルド・キーン著「日本文学のなかへ」(文藝春秋)
福音館書店「天の橋 地の橋」(「いまは昔 むかしは今」2)
などがちょいと思い浮かぶのですが、それはそれとして。
茶木滋さんの詩「このはし わたろ」
このはし わたろ
このかわこえて
しらない ところへ
いこうか よそか。
むこうの ほうは
ひろっぱ のはら
とんとこ おうちが
ちらほら みえる
どこからきたか
むくいぬ こいぬ
ともだちいるのか
わたっていった。
安藤鶴夫に「幸田文というひと」という文あり。
それは、「小説『流れる』が、新潮社の小説文庫版になった時、それに添えられた文章」を、短文のまずはじめに引用しておりました。
「小さいときから川を見てゐた。水は流れたがつて、とつとと走り下りてゐた。そのくせとまりたがりもして、たゆたひ、渋り、淀み、でもまた流れてゐた。川には橋がかかつてゐた。人は橋が川の流れの上にかけられてゐることなど頓着なく、平気で渡つて行つた。私もそうした。橋はなんでもない。なんでもないけれど橋へかかるとなぜか心はいつも一瞬ためらつて、川上川下、この岸あの岸と眺めるのだ。水は流れるし、橋は通じるし『流れる』と題したけれど、橋手前のあの、ふとためらふ心には強く惹かれてゐる。」
これを引用した安藤鶴夫は、この文を評して「短いが、どこからどこまで、なにからなにまで、幸田文というひと、そのものズバリの文章だと感心する。」として、次の話題にとりかかっていました。
う~ん。「橋をかける」の「橋」ということでは、以前どこかに書いたことがありました。捜して、読み直してみることにします。