和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

自分をどう支える。

2009-05-25 | Weblog
山本夏彦著「浮き世のことは笑うよりほかなし」(講談社)は雑誌「室内」で掲載されたところの対談集。それが今年の2009年3月に出版されたのでした。
楽しく笑いながら、ゆったりとした活字の頁をめくっております。
さて、藤原正彦氏との対談のなかで、イギリス行きの話題になって、
こんな箇所がありました。

【藤原】外国へ行くと自分をどうやって支えるかっていうのが問題です。
教養で支えるか、大和魂で支えるか。
【山本】あなた両方あるじゃない(笑)。本の中ではいつも愛国心に燃えている。
【藤原】どたんばになると血と血の戦いですからね。向うはシェイクスピアの血です。冗談も洒落もみんなシェイクスピアをふまえています。なまはんかな英文学読んでますなんていうのは最もだめ。シェイクスピアやゲーテを少し知っているより、きちんと日本の古典と伝統を身につけている方が、友達になれるんです。(p244)


この箇所で私に思い浮かぶのは、
司馬遼太郎著「風塵抄 二」(中公文庫)の、おわりに掲載されている福島靖夫の「司馬さんの手紙」にある、印象深い箇所でした。そこを引用してみましょう。

「いま、原稿用紙に書かれたこの手紙を積み上げたら、二十センチ以上になっているのに、改めて驚いている。そのなかの一つで、文章についての私の疑問に、司馬さんはこう書いている。『われわれはニューヨークを歩いていても、パリにいても、日本文化があるからごく自然にふるまうことができます。もし世阿弥ももたず、光悦・光琳をもたず、西鶴をもたず、桂離宮をもたず、姫路城をもたず、法隆寺をもたず、幕藩体制史をもたなかったら、われわれはおちおち世界を歩けないでしょう』
そして、『文章は自分で書いているというより、日本の文化や伝統が書かせていると考えるべきでしょう』と続けるのだ。この手紙を読んで、私はみるみる元気になった。」(p289)


ちなみに、司馬遼太郎・福島靖夫往復手紙「もうひとつの『風塵抄』」(中央公論新社)が、そのあとに出ていたのですが、p278に、それらしき箇所が拾えるのですが、こちらにはなぜか『文章は自分で書いているというより、日本の文化や伝統が書かせていると考えるべきでしょう』という箇所がみあたらないのです。なぜだろうなあ。
まあ、それはさておき。

山本夏彦著「浮き世のことは笑うよりほかなし」
司馬遼太郎著「風塵抄 二」(中公文庫)
「もうひとつの『風塵抄』」ときました。
つづいて
日下公人・高山正之著「アメリカはどれほどひどい国か」(PHP)の
対談のはじまりの日下氏の言葉を引用したくなりました。
俳諧は私にはわからないのですが、その俳諧の発句のような
対談のはじまりの言葉なのでした。

【日下】日本の先行きを考えるうえで、これから中国経済がどのように推移するかは『見物(みもの)』だと思います。それを見るポイントは、じつはアメリカにある。
まず概括的なことを言うと、中国とアメリカには共通点がいっぱいあって、第一に『プライドのない国』ということが共通しています。プライドがない国は、歴史のない国や、王朝の交代時に過去を否定する国で、そういう国の人はアイデンティティや誇りを持てない。誇りや自信のない人は、建設・発展・未来・進歩など将来を言い、見栄を張って大きなスローガンを掲げます。
アメリカのスローガンは『自由と民主主義と人権』で、中国は『社会主義と一党独裁』でした。そのスローガンの裏側は『自信と根拠のなさ』であって、スローガンをアイデンティティにするのは、歴史のなかに誇るべきものがないからです。
アメリカ人や中国人が口がうまいというのも、アイデンティティのない証拠です。力がない人間が商売や戦争に勝つには、相手を騙すしかない。だから、嘘をつく技術も、世界最高に発達しています。すぐばれる嘘を平気でつくし、サブプライムローンのように、一見ばれそうにない高級な嘘もつくる(笑)。そして、相手には『自己責任』と言う。


これが日下氏の対談の、はじまりの言葉なのでした。
コメント
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