橋本敏男著「幸田家のしつけ」(平凡社新書)の最後には、参考書籍一覧がありました。その一覧に、戸井田道三著「生きることには○×はない」(ポプラ社)がある。ああ、そういえば、この本、何人かの人が楽しく語っておられたなあ。と思いだしました。そのときも、さっそくネット古本屋で調べたのですが手に入らなかったので、そのままになっておりました。この機会にまた、ネットで調べてみました。すると、ポプラ社の本はなかったのですが、「戸井田道三の本」というのがある。その「1・こころ」に、「生きることに○×はない」が入っているじゃありませんか。2000円と、ちょっと高いかなあとは思ったのですが、こういう機会に買うことにしました。
さてっと。その本をパラパラとめくっていたら、
関東大震災のことが出てきておりました。
「無口で陰気で何を考えているのかわからない子どもだったわたしが、急におしゃべりでほがらかな青年になったのは、震災のあとからだ、と母はいいました。自分では意識しませんが、たぶんそうでしょう。震災は、わたしの生涯にとって一つの転機になったことはたしかです。中学三年生の九月です。」(p146)
おやっと思ったのは、その文中に房総の館山海岸のことが出てくるのでした。
忘れないうちに引用しておきましょう。
「日本橋のいとこたちは、その夏も館山海岸へ行っていました。まだ帰らなかったので、心配していたのですが、わたしたちが着いたおなじ五日に儀イちゃんがひとり軍艦で輸送されてかえり、みんな無事なことがわかりました。地震のあと海の水がどんどんひいていくのをみて、城山へ逃げろと漁師に注意され、みんなで一生懸命にげたのだそうです。安政の地震のとき津波がどこまであがったかをいいつたえていたそうで、逃げても逃げても、もう少し上まで、もう少し上までと村の人たちといっしょに逃げたのでたすかったといっていました。書いて残す時代より、言葉でいいつたえてゆく時代のほうが、前の人の経験が生かされるのかもしれません。」(p144~145)
さてっと。その本をパラパラとめくっていたら、
関東大震災のことが出てきておりました。
「無口で陰気で何を考えているのかわからない子どもだったわたしが、急におしゃべりでほがらかな青年になったのは、震災のあとからだ、と母はいいました。自分では意識しませんが、たぶんそうでしょう。震災は、わたしの生涯にとって一つの転機になったことはたしかです。中学三年生の九月です。」(p146)
おやっと思ったのは、その文中に房総の館山海岸のことが出てくるのでした。
忘れないうちに引用しておきましょう。
「日本橋のいとこたちは、その夏も館山海岸へ行っていました。まだ帰らなかったので、心配していたのですが、わたしたちが着いたおなじ五日に儀イちゃんがひとり軍艦で輸送されてかえり、みんな無事なことがわかりました。地震のあと海の水がどんどんひいていくのをみて、城山へ逃げろと漁師に注意され、みんなで一生懸命にげたのだそうです。安政の地震のとき津波がどこまであがったかをいいつたえていたそうで、逃げても逃げても、もう少し上まで、もう少し上までと村の人たちといっしょに逃げたのでたすかったといっていました。書いて残す時代より、言葉でいいつたえてゆく時代のほうが、前の人の経験が生かされるのかもしれません。」(p144~145)