「諸君!」2009年6月号が最終号。
そのなかの特集「『諸君!』と私」が気になるのでした。
長谷川三千子氏と阿川尚之氏の二人を、ここに引用しておきます。
まずは長谷川三千子氏。
「四十年前、はじめて『諸君』を読んだときの衝撃は忘れられない。それまで、雑誌などといふものは、ただ何となく時間をつぶすためにあるもので、雑誌を読んで膝をうつて『そうだ!その通り!』と叫びたくなることなどありえないと思つてゐた。ところが、実際、さういふことがおこつたのである。」
と、はじまっておりました。そして、自分が「諸君!」に書くようになったことに触れながら、こう書いております。
「ひよつとするとどこかに、かつての私自身のやうに、これを読んで喜んでくれる若い人がゐるかも知れない。それに値する、よい文章、力のある文章を書かなくてはいけない――そういふ思ひがあつたことは間違ひない。」
そして最後は
「すぐに手軽に共感を得られるやうなネット上の『オピニオン』言論が盛んになればなるほど、他方で、本当によく練り上げた、力のある文章を世に問ふ場の必要性といふものは、かへつて増すのではあるまいか。少くとも私は、これからも変らず、さういふ文章を目指しつづけたいと思つてゐる。」
つぎは、阿川尚之氏の文から
「私にとって『保守』とは、ものごとがうまくいかなくても、こんなもんだと笑っている。はっきりした意見は持つけれど、他人に押しつけない。まずは自分にできることを、泰然として、多少のユーモアをもって、完遂する。群れない。声高に話さない。孤独を恐れない。そうした態度だと思っている。」
そのなかの特集「『諸君!』と私」が気になるのでした。
長谷川三千子氏と阿川尚之氏の二人を、ここに引用しておきます。
まずは長谷川三千子氏。
「四十年前、はじめて『諸君』を読んだときの衝撃は忘れられない。それまで、雑誌などといふものは、ただ何となく時間をつぶすためにあるもので、雑誌を読んで膝をうつて『そうだ!その通り!』と叫びたくなることなどありえないと思つてゐた。ところが、実際、さういふことがおこつたのである。」
と、はじまっておりました。そして、自分が「諸君!」に書くようになったことに触れながら、こう書いております。
「ひよつとするとどこかに、かつての私自身のやうに、これを読んで喜んでくれる若い人がゐるかも知れない。それに値する、よい文章、力のある文章を書かなくてはいけない――そういふ思ひがあつたことは間違ひない。」
そして最後は
「すぐに手軽に共感を得られるやうなネット上の『オピニオン』言論が盛んになればなるほど、他方で、本当によく練り上げた、力のある文章を世に問ふ場の必要性といふものは、かへつて増すのではあるまいか。少くとも私は、これからも変らず、さういふ文章を目指しつづけたいと思つてゐる。」
つぎは、阿川尚之氏の文から
「私にとって『保守』とは、ものごとがうまくいかなくても、こんなもんだと笑っている。はっきりした意見は持つけれど、他人に押しつけない。まずは自分にできることを、泰然として、多少のユーモアをもって、完遂する。群れない。声高に話さない。孤独を恐れない。そうした態度だと思っている。」