外山滋比古著「頭の旅」(毎日新聞社)に
魚について語った箇所がありました。
「・・・生きのいい丸のままの魚が家庭では歓迎されなくなった。さわるのもいやという奥さんが多い。魚屋がこぼす。オカシラつきを並べておくと、お客さんが、ちょいと、その頭、はやく落として・・目がにらんでいるみたいで、気味がわるいじゃないの、などと言われる。これじゃオカシラつきも台なしで、そのせいか尾頭は「お頭」と書くのだと思っている人もいる、という。
いまのこどもは魚が好きでない。どうしてかときくと、骨がある、骨のない肉の方がいい、と答える。なんでもこども本位の家庭だから、かくて魚は敬遠されることになる。たまに魚だといえば切り身か、さもなければ、エビやイカ。これなら骨なしだ。
・・・・
食い道楽のおじがいて料理自慢であった。お祭りで魚を仕入れてくると庭先へ桶とマナ板を持ち出してさばいて見せる。集まってきている親類中のこどもがしゃがんで円陣をつくって見まもる。息をこらしている。終わってしまうと口々にためいきのような声を出した。なかでも私はおじの包丁さばきを崇拝していたように思う。おかげで、いつとはなしに魚の扱い方を覚えたようである。・・・」(p126~127)
産経新聞2010年4月1日のコラム正論に平川祐弘氏が「マグロを機に日本文化の主張を」という題で書いているのを見たら、つい読んで印象に残っていた、外山氏の文を思い浮かべたりしたのでした。
魚について語った箇所がありました。
「・・・生きのいい丸のままの魚が家庭では歓迎されなくなった。さわるのもいやという奥さんが多い。魚屋がこぼす。オカシラつきを並べておくと、お客さんが、ちょいと、その頭、はやく落として・・目がにらんでいるみたいで、気味がわるいじゃないの、などと言われる。これじゃオカシラつきも台なしで、そのせいか尾頭は「お頭」と書くのだと思っている人もいる、という。
いまのこどもは魚が好きでない。どうしてかときくと、骨がある、骨のない肉の方がいい、と答える。なんでもこども本位の家庭だから、かくて魚は敬遠されることになる。たまに魚だといえば切り身か、さもなければ、エビやイカ。これなら骨なしだ。
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食い道楽のおじがいて料理自慢であった。お祭りで魚を仕入れてくると庭先へ桶とマナ板を持ち出してさばいて見せる。集まってきている親類中のこどもがしゃがんで円陣をつくって見まもる。息をこらしている。終わってしまうと口々にためいきのような声を出した。なかでも私はおじの包丁さばきを崇拝していたように思う。おかげで、いつとはなしに魚の扱い方を覚えたようである。・・・」(p126~127)
産経新聞2010年4月1日のコラム正論に平川祐弘氏が「マグロを機に日本文化の主張を」という題で書いているのを見たら、つい読んで印象に残っていた、外山氏の文を思い浮かべたりしたのでした。