和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「敬語」と朝日新聞。

2010-04-03 | 朝日新聞
谷沢永一著「完本 巻末御免」(PHP)をさっそく手にとっております。
完本といえば、この前に徳岡孝夫著「紳士と淑女」の完本が出たばかり。
もっとも徳岡氏のは新書でした。谷沢氏のは全300コラムを一挙掲載。
さてっと、せっかく二冊を並べて共通項をさぐってみましょう。

たとえば、朝日の敬語について、
谷沢永一著「完本 巻末御免」の125『敬語』(平成7年五月号)。
うん。最初から引用。

「朝日新聞は皇室に対して一切の敬語を用いないと定めたらしい。天皇皇后両陛下が阪神大震災の被災地をお見舞いなされた記事の見出しが『両陛下、阪神見舞う』(二月一日)である。以下の本文では『兵庫県入り』『被災者を見舞い』『同日夜、帰京した』『などと声をかけた』『菅原市場を訪問』『深々と頭を下げた』『スイセンの花束を供えた』『被災者を励ました』という調子であり、片鱗たりとも敬語を使わないぞとの固い決意が漲っている。」

うん。もうすこし引用をつづけましょう。

「皇太子と妃殿下が合同慰霊祭に参列された場合の記事(三月六日)は二十行で片付けた。見出しは『皇太子ご夫婦慰霊祭に参列』であって妃殿下という敬称は忌避する意向であるらしい。本文では『訪れ』『参列』『励ましの言葉をかけた』『などと声をかけた』『手を握り、お礼を述べた』とこれまた一貫している。記者が偶然に、粗末な言葉遣いをしたのではあるまい。徹底的に敬語を排除するぞと思い定めた方針であるらしい。」


ここまでが前半で全体の半分を引用。
あとは最後の3行を引用しておきましょう。

「そして日本語に伝統的な敬語表現を温存したいと願い言葉に膨らみを求める駘蕩(たいとう)派は朝日新聞の購読を停止するのが妥当は措置であると考える。」


私が思いうかべたのは、「紳士と淑女2 1994~1996」(文藝春秋)にある1994年8月号(94年6月)『天皇陛下は田植えをした』でした。
では、そこからの引用。

「ごく短い記事なので、見出しと記事全文を引用する。
『皇居で恒例の田植え  天皇陛下は二十五日午後、皇居の生物学研究所のわきにある水田で恒例の田植えをした。植えたのは、うるち米にニホンマサリと、もち米のマンゲツモチの二種。稲は九月下旬から十月初旬にかけて刈り取られ、新嘗祭などに使われる』(「朝日」5月26日)
これに比べ、二十年前は左(以下)のようだった。
『陛下がお田植え  天皇陛下は十三日午後一時半から皇居内の水田で、恒例の田植えをされた。ワイシャツの腕をまくり、長グツをはいた陛下は、モチ米の『埼玉十号』『オオザネモチ』ウルチ米の『コシヒカリ』を植えられたが、秋に刈りとられた米は、伊勢神宮や、皇居内の神嘉殿に供えられる』(『朝日』昭和49年5月14日)」

このあとに「紳士と淑女」の著者徳岡孝夫氏はこう書いております。

「日本語の美しさの一つは、複雑な敬語の使用にある。
日常会話においてさえ、敬語の使い分けのできない者は日本人と見なされない。
一方、敬語は微妙な武器でもあって、全く省くことによって言外に侮蔑を匂わすことができるのである。二十年前の『朝日』は、まだしも最小限の敬語を使っていた。いらい憲法が改正されたわけでもないのに、いまでは皇室の行事から厳密に敬語を抜くことに決めたらしい。今年の記事からは天皇への侮蔑さえ、ほんのり感じられる。これが国家国民の象徴である方に対する言葉遣いだろうか。
お田植えへの敬意がなければ、昨年凶作に喘いだ農村への同情も完全なものとならないのではないか。他の新聞には敬語がある。『朝日』と『毎日』だけに見る侮蔑の語調は、いったいどうしたことだろう。」


ところで、徳岡孝夫氏のは1994年8月号でした。
そして、谷沢永一氏のは1995年5月号です。
こんなことは、どなたもがいわれていることなのでしょうが、
わたしは、徳岡孝夫氏に先陣の軍配をあげたくなるのでした。
コメント
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