和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

言い残しておく。

2010-04-18 | 短文紹介
鶴見俊輔著「言い残しておくこと」(作品社)は、
インタビューをまとめた面白い構成の本です。
まず5~6㌻の鶴見俊輔氏の話があり、そのあとに、その話に登場する人物や事件に関する事柄を、ほかならぬ、鶴見俊輔氏の本のなかから、選んで項目別に引用してある。
そして、次の話へとすすむ。その項目別引用はあとで「メモラビリア初出一覧」として、
7ページほどの掲載誌および単行本の紹介も載っております。そして最後には人名索引もついております。そんなこんなで、本は全315ページ。

というわけで、項目別引用をはしょって飛ばして読めば、それだけでも楽しめますし、読むのが簡単です。さてっと、鶴見俊輔氏は哲学者という肩書きが、ございます。
う~ん。ひとつの言葉をさまざまに反転させながら、語っているのが、そういう哲学者の哲学者たるゆえんでしょうか。
そう思えば、ここでのお話の筋道がみえてくるように思えるのでした。
たとえば、こんな具合。

「これは都留重人さんからのまた聞きですけど、シュンペーターが、日本の知識人の文化をずっと見て、『これは輸入とか模倣というんじゃなくて、ブランダーだ』といったんだそうです。・・・ブランダーというのは、英和辞典で引くと、『へま』と書いてある。つまり間違いだね。ふつう日本の近代文化・思想というのは、ヨーロッパ文化・思想のイミテーションといわれるでしょう。ところがシュンペーターは、いやイミテーションじゃないといって、あえてブランダーという言葉を使った。つまり真似ではなく、西洋文化を間違って訳している、これはへまだ、と。」(p37~38)

このあとエリートという言葉の使い方を教示しておられます。
まあ、それは読んでもらうとして、ここでは、「メモラビリア」という鶴見氏の本からの引用にある『まちがい主義』をそのままに引用。

「記号論理学をつくったラッセルとホワイトヘッドの共著に『プリンピキア・マセマティカ』っていう大きな本がある。私は1940年に、ラッセルの12回の講義を聞いた。ラッセルはこう言うんです。壇上に立って、『ああ自分の考えていることは、全部間違いだ、と感じるときがある』。これは記号論理学の話としては、成りたたないんだ。矛盾しているから、そういうことは言えないんです。だけど、そういう一瞬の感情を自分は押えられない。それは記号論理学の創始者として語っているのではなく、人間として自分の存念を語っている。だから、この講義を彼が本にしたとき、このフレーズはそこに残していませんけどね。」
そのあとには、ホワイトヘッドの大学付属教会での講義の最終講演の話が続きます。
こちらも引用しないとおかしいですね。

「彼はよたよた出て来て、壇上に上がって話して、ぼそぼそっと最後の言葉を話して壇を降りてしまった。あれは何を言ったのかなと思って、気になったんだ。(略)私は米国にいる彼女(鶴見和子)に手紙を出してね『ホワイトヘッドの最終講演の記録があるはずだ、それのゼロックスのコピーを送ってくれ』と頼んだ。彼女は・・すぐに送ってくれたんだ。すると、ホワイトヘッドの最後の一言はね、Exactness is a fake ――精密さなんてものはつくりものだ、と言ってたんです。それが、彼の終わりの講演の、そのまた最後の一行なんですよ。記号論理学の体系をはじめてつくった二人が、一方は大学の壇上で、もう片方は教会でそういうことをいっている。」(p124~125)

このように、鶴見氏のインタビューのお話を活字におこしながら、
同時に引用として、鶴見氏の関連する本から、当のご自身の文章を引用しておりまして、
おやべりと本とのセッションみたいな感じで楽しめます。

ついでですから、この本の最初の方にある言葉も引用しておきましょうか。

「私の細君はキリスト教徒ですが、私はキリスト教徒になったことはありません。私は、キリスト教の定義は、you are wrong おまえが悪い、という主張だと思っている。イスラームも you are wrong だから、両方が you are wrongとなれば決着はなかなかつかない。それに対して私の立場は、基本的に、 I am wrong なんです。私の細君がyou are wrong といって、私が I am wrongといえば、その決着はどうなるんですかね(笑)。」(p14~15)

この言葉が、さまざまな角度から鶴見俊輔氏の人生を振りながら、むすびついてゆく一冊となっております。興味がある方は、この本にあたってください(笑)。
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外国人参政権。

2010-04-18 | Weblog
今日の産経新聞(2010年4月18日)の3面に
「永住外国人への地方参政権(選挙権)付与・・・
参政権付与には鳩山由紀夫首相、岡田克也外相、小沢一郎民主党幹事長ら政府・与党に推進派が多く、参院選後に推し進めかねないとの危機感が広がっている。・・」とあります。

渡部昇一著「国民の見識」(到知出版社)に
その外国人参政権付与が成立するとどうなるかという具体的な指摘がわかりやすい。
以下に端折ってその部分を引用。

「・・・では、外国人に参政権を与えている国はないのか。三国ある。スイス、オーストラリア、それにお隣の韓国である。韓国も以前は参政権を『国民固有の権利』と憲法で規定していた。それが突如、平成17(2005)年に永住外国人に地方参政権を付与するように法を改正したのだ。
突如であるだけに、その意図は見え透くというものである。
日本に住んでいるアメリカ人やイギリス人が参政権を要求しているわけではない。熱心に要求しているのは民団系の在日韓国人である。韓国の突然の法改正がその後押しであることは明らかである。事実、相互主義に立って在日韓国人に地方参政権を付与するよう、韓国は日本にプッシュしてきている。しかし、韓国の地方参政権を与えられる日本人は、多く見積もっても五十人程度である。それに対して在日韓国人は四十万人を超えるのだ。五十対四十万超で相互主義もへったくれもあるものではない。」

  さて、つぎは渡部氏の推測ということで語られております。

「なぜ韓国は日本の外国人参政権に執心するのか。ここから先はあえて私の推測ということにしておくが、韓国人が盛んに対馬の土地を買い占めていることはご存知だろう。日本はたとえば東京で暮らしていても、対馬に住民登録を移せば対馬の住民ということになる。対馬は人口が減少傾向である。民団系の在日韓国人がたとえば十万人、対馬に住民登録したらどうだろう。それが地方参政権を持っていたら、対馬の行政を牛耳るのはたやすいことである。事実上、対馬が韓国の領土になってしまうということだ。事実、韓国には対馬は元来韓国領だったという嘘を平気で言う人もいるのだ。竹島のように。
こういうこともある。島根県も人口が少ない。ここに十万人の在日韓国人が住民登録をしたら、と考えてみるがいい。島根県議会は、『竹島は島根県である』と決議している。これを取り消すことも不可能ではなくなるのだ。
外国人参政権は、このように日本を危うくする中身を具体的に含んでいるのだ。マニフェストにも記載せず、誤魔化しを重ねてやるようなものではない。もしやるなら国会を解散し、この問題を焦点にして民意を問わなければならない。
もちろん、民主党にそんなつもりはない。これほどの重要問題なのに、選挙は経ずに、マニフェストにも記載しないまま、外国人地方参政権付与の法案を成立させるつもりである。・・・」(p37~39)

さてっと、この本が出たのは平成22年2月25日。
実際の本文は「平成20年1月25日から平成21年11月20日にわたって、『昇一塾』ニュースレターとして配信されたものに加筆・修正をし、再構成したものです。」とあります。

ちなみに、産経新聞平成22年4月16日の一面トップは、その外国人参政権についての全国都道府県議会の状況が掲載されておりました。
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