鶴見俊輔著「言い残しておくこと」(作品社)は、
インタビューをまとめた面白い構成の本です。
まず5~6㌻の鶴見俊輔氏の話があり、そのあとに、その話に登場する人物や事件に関する事柄を、ほかならぬ、鶴見俊輔氏の本のなかから、選んで項目別に引用してある。
そして、次の話へとすすむ。その項目別引用はあとで「メモラビリア初出一覧」として、
7ページほどの掲載誌および単行本の紹介も載っております。そして最後には人名索引もついております。そんなこんなで、本は全315ページ。
というわけで、項目別引用をはしょって飛ばして読めば、それだけでも楽しめますし、読むのが簡単です。さてっと、鶴見俊輔氏は哲学者という肩書きが、ございます。
う~ん。ひとつの言葉をさまざまに反転させながら、語っているのが、そういう哲学者の哲学者たるゆえんでしょうか。
そう思えば、ここでのお話の筋道がみえてくるように思えるのでした。
たとえば、こんな具合。
「これは都留重人さんからのまた聞きですけど、シュンペーターが、日本の知識人の文化をずっと見て、『これは輸入とか模倣というんじゃなくて、ブランダーだ』といったんだそうです。・・・ブランダーというのは、英和辞典で引くと、『へま』と書いてある。つまり間違いだね。ふつう日本の近代文化・思想というのは、ヨーロッパ文化・思想のイミテーションといわれるでしょう。ところがシュンペーターは、いやイミテーションじゃないといって、あえてブランダーという言葉を使った。つまり真似ではなく、西洋文化を間違って訳している、これはへまだ、と。」(p37~38)
このあとエリートという言葉の使い方を教示しておられます。
まあ、それは読んでもらうとして、ここでは、「メモラビリア」という鶴見氏の本からの引用にある『まちがい主義』をそのままに引用。
「記号論理学をつくったラッセルとホワイトヘッドの共著に『プリンピキア・マセマティカ』っていう大きな本がある。私は1940年に、ラッセルの12回の講義を聞いた。ラッセルはこう言うんです。壇上に立って、『ああ自分の考えていることは、全部間違いだ、と感じるときがある』。これは記号論理学の話としては、成りたたないんだ。矛盾しているから、そういうことは言えないんです。だけど、そういう一瞬の感情を自分は押えられない。それは記号論理学の創始者として語っているのではなく、人間として自分の存念を語っている。だから、この講義を彼が本にしたとき、このフレーズはそこに残していませんけどね。」
そのあとには、ホワイトヘッドの大学付属教会での講義の最終講演の話が続きます。
こちらも引用しないとおかしいですね。
「彼はよたよた出て来て、壇上に上がって話して、ぼそぼそっと最後の言葉を話して壇を降りてしまった。あれは何を言ったのかなと思って、気になったんだ。(略)私は米国にいる彼女(鶴見和子)に手紙を出してね『ホワイトヘッドの最終講演の記録があるはずだ、それのゼロックスのコピーを送ってくれ』と頼んだ。彼女は・・すぐに送ってくれたんだ。すると、ホワイトヘッドの最後の一言はね、Exactness is a fake ――精密さなんてものはつくりものだ、と言ってたんです。それが、彼の終わりの講演の、そのまた最後の一行なんですよ。記号論理学の体系をはじめてつくった二人が、一方は大学の壇上で、もう片方は教会でそういうことをいっている。」(p124~125)
このように、鶴見氏のインタビューのお話を活字におこしながら、
同時に引用として、鶴見氏の関連する本から、当のご自身の文章を引用しておりまして、
おやべりと本とのセッションみたいな感じで楽しめます。
ついでですから、この本の最初の方にある言葉も引用しておきましょうか。
「私の細君はキリスト教徒ですが、私はキリスト教徒になったことはありません。私は、キリスト教の定義は、you are wrong おまえが悪い、という主張だと思っている。イスラームも you are wrong だから、両方が you are wrongとなれば決着はなかなかつかない。それに対して私の立場は、基本的に、 I am wrong なんです。私の細君がyou are wrong といって、私が I am wrongといえば、その決着はどうなるんですかね(笑)。」(p14~15)
この言葉が、さまざまな角度から鶴見俊輔氏の人生を振りながら、むすびついてゆく一冊となっております。興味がある方は、この本にあたってください(笑)。
インタビューをまとめた面白い構成の本です。
まず5~6㌻の鶴見俊輔氏の話があり、そのあとに、その話に登場する人物や事件に関する事柄を、ほかならぬ、鶴見俊輔氏の本のなかから、選んで項目別に引用してある。
そして、次の話へとすすむ。その項目別引用はあとで「メモラビリア初出一覧」として、
7ページほどの掲載誌および単行本の紹介も載っております。そして最後には人名索引もついております。そんなこんなで、本は全315ページ。
というわけで、項目別引用をはしょって飛ばして読めば、それだけでも楽しめますし、読むのが簡単です。さてっと、鶴見俊輔氏は哲学者という肩書きが、ございます。
う~ん。ひとつの言葉をさまざまに反転させながら、語っているのが、そういう哲学者の哲学者たるゆえんでしょうか。
そう思えば、ここでのお話の筋道がみえてくるように思えるのでした。
たとえば、こんな具合。
「これは都留重人さんからのまた聞きですけど、シュンペーターが、日本の知識人の文化をずっと見て、『これは輸入とか模倣というんじゃなくて、ブランダーだ』といったんだそうです。・・・ブランダーというのは、英和辞典で引くと、『へま』と書いてある。つまり間違いだね。ふつう日本の近代文化・思想というのは、ヨーロッパ文化・思想のイミテーションといわれるでしょう。ところがシュンペーターは、いやイミテーションじゃないといって、あえてブランダーという言葉を使った。つまり真似ではなく、西洋文化を間違って訳している、これはへまだ、と。」(p37~38)
このあとエリートという言葉の使い方を教示しておられます。
まあ、それは読んでもらうとして、ここでは、「メモラビリア」という鶴見氏の本からの引用にある『まちがい主義』をそのままに引用。
「記号論理学をつくったラッセルとホワイトヘッドの共著に『プリンピキア・マセマティカ』っていう大きな本がある。私は1940年に、ラッセルの12回の講義を聞いた。ラッセルはこう言うんです。壇上に立って、『ああ自分の考えていることは、全部間違いだ、と感じるときがある』。これは記号論理学の話としては、成りたたないんだ。矛盾しているから、そういうことは言えないんです。だけど、そういう一瞬の感情を自分は押えられない。それは記号論理学の創始者として語っているのではなく、人間として自分の存念を語っている。だから、この講義を彼が本にしたとき、このフレーズはそこに残していませんけどね。」
そのあとには、ホワイトヘッドの大学付属教会での講義の最終講演の話が続きます。
こちらも引用しないとおかしいですね。
「彼はよたよた出て来て、壇上に上がって話して、ぼそぼそっと最後の言葉を話して壇を降りてしまった。あれは何を言ったのかなと思って、気になったんだ。(略)私は米国にいる彼女(鶴見和子)に手紙を出してね『ホワイトヘッドの最終講演の記録があるはずだ、それのゼロックスのコピーを送ってくれ』と頼んだ。彼女は・・すぐに送ってくれたんだ。すると、ホワイトヘッドの最後の一言はね、Exactness is a fake ――精密さなんてものはつくりものだ、と言ってたんです。それが、彼の終わりの講演の、そのまた最後の一行なんですよ。記号論理学の体系をはじめてつくった二人が、一方は大学の壇上で、もう片方は教会でそういうことをいっている。」(p124~125)
このように、鶴見氏のインタビューのお話を活字におこしながら、
同時に引用として、鶴見氏の関連する本から、当のご自身の文章を引用しておりまして、
おやべりと本とのセッションみたいな感じで楽しめます。
ついでですから、この本の最初の方にある言葉も引用しておきましょうか。
「私の細君はキリスト教徒ですが、私はキリスト教徒になったことはありません。私は、キリスト教の定義は、you are wrong おまえが悪い、という主張だと思っている。イスラームも you are wrong だから、両方が you are wrongとなれば決着はなかなかつかない。それに対して私の立場は、基本的に、 I am wrong なんです。私の細君がyou are wrong といって、私が I am wrongといえば、その決着はどうなるんですかね(笑)。」(p14~15)
この言葉が、さまざまな角度から鶴見俊輔氏の人生を振りながら、むすびついてゆく一冊となっております。興味がある方は、この本にあたってください(笑)。