和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

再読。

2010-04-24 | 他生の縁
そういえば、鶴見俊輔氏には「再読」という題名の本があったような気がします。岩波新書で出た鶴見俊輔著「思い出袋」を、私は、岩波の月刊「図書」で4年ほど続けて楽しみに読んでおりました。それからは、講読をしなくなっていたので読まずじまい。それが今年になって新書で出たのでした。何でも7年間続けた連載とある。
新書であらためて読んで、気になるので、またパラパラとめくっております。新書で読みやすいのもあるのですが、何しろ87歳の鶴見俊輔氏の重量感を、短文でひも解いているような楽しみがあります。

たとえば、いまNHK連続ドラマ「ゲゲゲの女房」。
その水木しげるについて、鶴見氏は語ります。

「水木しげるの『河童の三平』は、私の古典である。」(p32)
う~ん。こういう言い切りが、きっとすばらしいのですね。
たとえば、小学校でもよいのですが、担任の先生が、
私は『河童の三平』が大好きです。
といったとします。その時は、笑いながら忘れても、
あとあと、読まないとしても、その先生が語った言葉として
思い出すに違いない。

鶴見氏の小気味いい短文を、
再読しながら、こりゃ、あとあと残るなあ
そう思いながらの再読。

すこし引用。

「声を出して、子どもに絵本を読んできかせることは、人生をもう一度生きることである。『はしれ きしゃ きしゃ』からはじまって数年後に水木しげるの『河童の三平』全四巻まできた時、私は自分自身の人生の戸口にふたたび立っていることを感じた。子どもが眠るまで何度も読む。そのうち子どもは全部おぼえてしまう。・・・・そのうち岡部伊都子さんが、子どもを一晩あずかりたいと言ってきた。子どもは行くと言う。当日、彼は『河童の三平』をもって岡部さんの家に泊まり、その本を読んであげた。もとよりその本を全部暗唱していて、絵をめくるそばから、そらで言えた。・・・」(p203~204)


こんな箇所もありました。

「私が二歳から三歳のころ、英語の絵本があって、それを親に読みきかせてもらったことはなかったが、絵から筋を想像できた。『しょうがパン人間』という本だった。老人夫婦が、小麦粉をこねて、子どもの形のパンを焼いた。その子どもは家からかけだして、囲いを越えて出ていく。そのあとはよく見なかった。おそろしい絵が出てくるので、こわくてわざと忘れたのだろう。何十年かたって、『おだんごぱん』という日本語の本を自分の子に朗読してやって、そのときはじめて、しょうがパンの末路を知った。しょうがパンの子どもは、せっかく自由になって野山をかけまわったあと、狐に食べられてしまうのだった。私としては、家を離れて、野山を自由にかけまわるところに心をひかれて、悲しい結末は見たくなかったから、見なかったらしい。八十年たって民話のあらすじを知ってながめると、自分の生涯がこの物語にすっぽり入っているようにも見える。」(p90~91)

もう少し引用を、ついつい重ねたくなるのですがこのへんで(笑)。
コメント
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