和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

あの木が私だ。

2010-04-27 | 幸田文
読売俳壇2010年4月26日の矢島渚男選の最初の句。

  老残の身を寄す施設木々芽吹く   石川県 田保与一

とありました。
そういえば、鶴見和子氏の養護施設に入ってからの短歌が思い浮かぶのでした。
それについて鶴見俊輔は、こう語っております。

「彼女の最後の十年というのは、同じ社会学でもまったく違うんです。・・
倒れてから後は、遠慮なく自分を導入するようなものだといって、日記のように和歌を書いているので、和歌と論文とはつねに交流する。倒れてからそれまでの仕事を藤原書店ですべて本にして出してくださったわけですが、どの巻にもあとがきだけは自分で入れるでしょう。あとがきで、一つ一つのだるまに目を入れるように、別のものになってく。ここに自分が入ってきて、いまの実感からものをいう。だから彼女の学問全部が全部新しい様相を見せるようになる。」(鶴見俊輔著「言い残しておくこと」p160~161)

ちょいと、寄り道しました。
読売俳壇の句を読んで、最初に思いうかべたのは、
鶴見俊輔著「思い出袋」(岩波新書)の、この箇所だったのです。

「・・・トーテム・ポールで、自分を何かの動物部族の末として、地球の上に位置づける。宇宙史の中で、動物、植物、鉱物のどれかの系統に自分を位置づける方法もあり、ことさらにその血を引いているなどと考えるまでもなく、その何かの友だちとして自分を置く方法もある。俳諧歳時記は、その方法で、何かのそばに自分を置いてみるという、さりげない身ぶりと言える。そういう想像力の動きの中に自分を置くということだろう。」(p77)

そして、つぎのページに、こんな箇所があったのでした。

「これは『夜と霧』にある話だが、アウシュヴィッツの強制収容所に閉じこめられてフランクルは、おなじ仲間の老女がいきいきと毎日をすごしているので、どうしてかとたずねた。すると、彼女は道に見える一本の樹を指して、『あの木が私だ』と言う。・・」(p78)
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