花田清輝を読んだことがないままに、
鶴見俊輔氏が書く花田清輝が印象にのこります。
ここでは、鶴見俊輔著「言い残しておくこと」(作品社)から
「花田にはいろんなところでよく叩かれたけど、叩かれることが、私にとって一つの開眼のきっかけのなっている。
それから花田は屈指の伯楽でもあった。
司馬遷のいう『千里の馬はいつの時代にもいる。しかし、千里の馬を見分ける伯楽のいない時代もある』というやつですね。たとえば、昭和初期に登場したまま、その後長いあいだ忘れられていた尾崎翠を再評価して、苔が恋をするという『第七官界彷徨』を自分の編んだアンソロジーに入れた。花田がいなければ、尾崎翠は永遠に復活しなかったでしょうね。私が当代の立派な文章家と認める小沢信男も花田が引っ張ったんだね。小沢は、『江古田文学』に『新東京感傷散歩』という作品を書いて、それを花田が読んで認めたわけです。小沢は俳句もやっていて、『学成らずもんじゃ焼いてる梅雨の路地』という名句がある。そうして彼は、山下清の伝記を書いたでしょう。私は山下清を尊敬してるんです。山下清そのものがオリジナルなんだ。それを小沢みたにな人が出て、その力を見抜いていく。その小沢は花田によって見出された。それがエリートを抜く力なんです。」(p188~189)
ちなみに、鶴見俊輔著「思い出袋」(岩波新書)に登場する花田清輝はというと、
「・・編集者は犀を見つけることが仕事のはずだが、実際にはその仕事の内実は、うわさの運搬である。その中で、目利きとして私の記憶に残る例外的な編集者は、戦中・戦後の林達夫、花田清輝、谷川雁である。
司馬遷は早くから、千里の馬はいつの時代にもいるけれども、それぞれの時代に目利きが少ないと嘆いた。千里を行く馬は速いが、犀はのろい。しかし、ひとり千里を行くという点では、両者は共通である。」(p58・「犀のように歩め」)
ちなみに、この文のはじまりは、
「『犀のように歩め』。瀬戸内寂聴の『釈迦』で、久しぶりにこの言葉に出会った。」
鶴見俊輔氏が書く花田清輝が印象にのこります。
ここでは、鶴見俊輔著「言い残しておくこと」(作品社)から
「花田にはいろんなところでよく叩かれたけど、叩かれることが、私にとって一つの開眼のきっかけのなっている。
それから花田は屈指の伯楽でもあった。
司馬遷のいう『千里の馬はいつの時代にもいる。しかし、千里の馬を見分ける伯楽のいない時代もある』というやつですね。たとえば、昭和初期に登場したまま、その後長いあいだ忘れられていた尾崎翠を再評価して、苔が恋をするという『第七官界彷徨』を自分の編んだアンソロジーに入れた。花田がいなければ、尾崎翠は永遠に復活しなかったでしょうね。私が当代の立派な文章家と認める小沢信男も花田が引っ張ったんだね。小沢は、『江古田文学』に『新東京感傷散歩』という作品を書いて、それを花田が読んで認めたわけです。小沢は俳句もやっていて、『学成らずもんじゃ焼いてる梅雨の路地』という名句がある。そうして彼は、山下清の伝記を書いたでしょう。私は山下清を尊敬してるんです。山下清そのものがオリジナルなんだ。それを小沢みたにな人が出て、その力を見抜いていく。その小沢は花田によって見出された。それがエリートを抜く力なんです。」(p188~189)
ちなみに、鶴見俊輔著「思い出袋」(岩波新書)に登場する花田清輝はというと、
「・・編集者は犀を見つけることが仕事のはずだが、実際にはその仕事の内実は、うわさの運搬である。その中で、目利きとして私の記憶に残る例外的な編集者は、戦中・戦後の林達夫、花田清輝、谷川雁である。
司馬遷は早くから、千里の馬はいつの時代にもいるけれども、それぞれの時代に目利きが少ないと嘆いた。千里を行く馬は速いが、犀はのろい。しかし、ひとり千里を行くという点では、両者は共通である。」(p58・「犀のように歩め」)
ちなみに、この文のはじまりは、
「『犀のように歩め』。瀬戸内寂聴の『釈迦』で、久しぶりにこの言葉に出会った。」