大橋鎭子著「『暮しの手帖』とわたし」に、
昭和12年に第六高等女学校を大橋さんが卒業して、
日本興行銀行に入り、調査課に配属になり、調査月報の編集を手伝う様子が描かれておりました。
鶴見俊輔著「思い出袋」(岩波新書)には
「戦争中、私はバタヴィア(現ジャカルタ)の海軍武官府にいて新聞をつくっていた。海軍、とくに太平洋の前線では大本営発表を信じていては、計画もたてられない。『敵の読む新聞とおなじものをつくれ』と言われた。・・・」(p26)という箇所があったのでした。
最近、渡部昇一氏の到知出版社から出された本を数冊読んで、なんだか到知出版で以前読んだ本があったかなあと、本棚を見るとある。その中に谷沢永一・渡部昇一著「修養こそ人生をひらく」(到知出版社)があり、すっかり内容を忘れていたので、あらためて開いてみました。そうすると、こんな箇所があったのでした。
【渡部】 ・・・日露戦争が終わると、お国のことを第一に考えなくなったんですよ。昭和に入ってからの戦争を見ますと、もう自分たちのことが第一ですね。・・・・
その典型が昭和19年秋の台湾沖航空戦ですよ。アメリカ軍と日本の基地航空部隊の戦闘ですけれど、このとき日本軍がアメリカの航空母艦を十何隻も沈めたという情報が大本営から流されたんですね。ところが、海軍の情報機関は『一隻も沈んでいない』と言っている。また陸軍情報参謀の堀栄三という人も戦果発表に疑問を抱いて大本営にその旨を伝えています。ところが、大本営は情報を訂正するでもなく、海軍も陸軍へ確度の高い情報を知らせなかった。その結果どうなったか。陸軍は大本営発表を鵜呑みにして、ルソン島へ送るはずだった兵隊をレイテ島へ送るように方針変更した。ところが、壊滅したはずのアメリカ艦隊が現れて、なすことなく全滅したわけです。師団長が戦死した場所もわからないし、死骸も出てこないのは、このレイテ戦だけですよ。それほど悲惨な戦争になってしまった。だって、航空母艦を十何隻も沈めたはずなのに実際は一隻も沈んでいないんだから。
【谷沢】参謀本部が画策して嘘の情報を流した。
【渡部】嘘の情報に乗ってしまったわけです。海軍の中でもインテリジェンス担当は『沈んでいない』と言っているのに作戦部は沈んだことにしたんですからひどい。
【谷沢】その状況を冷静に判断して口外すると敗北主義者と言われるわけです。・・・・
(p175~176)
昭和12年に第六高等女学校を大橋さんが卒業して、
日本興行銀行に入り、調査課に配属になり、調査月報の編集を手伝う様子が描かれておりました。
鶴見俊輔著「思い出袋」(岩波新書)には
「戦争中、私はバタヴィア(現ジャカルタ)の海軍武官府にいて新聞をつくっていた。海軍、とくに太平洋の前線では大本営発表を信じていては、計画もたてられない。『敵の読む新聞とおなじものをつくれ』と言われた。・・・」(p26)という箇所があったのでした。
最近、渡部昇一氏の到知出版社から出された本を数冊読んで、なんだか到知出版で以前読んだ本があったかなあと、本棚を見るとある。その中に谷沢永一・渡部昇一著「修養こそ人生をひらく」(到知出版社)があり、すっかり内容を忘れていたので、あらためて開いてみました。そうすると、こんな箇所があったのでした。
【渡部】 ・・・日露戦争が終わると、お国のことを第一に考えなくなったんですよ。昭和に入ってからの戦争を見ますと、もう自分たちのことが第一ですね。・・・・
その典型が昭和19年秋の台湾沖航空戦ですよ。アメリカ軍と日本の基地航空部隊の戦闘ですけれど、このとき日本軍がアメリカの航空母艦を十何隻も沈めたという情報が大本営から流されたんですね。ところが、海軍の情報機関は『一隻も沈んでいない』と言っている。また陸軍情報参謀の堀栄三という人も戦果発表に疑問を抱いて大本営にその旨を伝えています。ところが、大本営は情報を訂正するでもなく、海軍も陸軍へ確度の高い情報を知らせなかった。その結果どうなったか。陸軍は大本営発表を鵜呑みにして、ルソン島へ送るはずだった兵隊をレイテ島へ送るように方針変更した。ところが、壊滅したはずのアメリカ艦隊が現れて、なすことなく全滅したわけです。師団長が戦死した場所もわからないし、死骸も出てこないのは、このレイテ戦だけですよ。それほど悲惨な戦争になってしまった。だって、航空母艦を十何隻も沈めたはずなのに実際は一隻も沈んでいないんだから。
【谷沢】参謀本部が画策して嘘の情報を流した。
【渡部】嘘の情報に乗ってしまったわけです。海軍の中でもインテリジェンス担当は『沈んでいない』と言っているのに作戦部は沈んだことにしたんですからひどい。
【谷沢】その状況を冷静に判断して口外すると敗北主義者と言われるわけです。・・・・
(p175~176)