和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「編集者の仕事」

2010-06-23 | 短文紹介
柴田光滋著「編集者の仕事」(新潮新書)を読みました。
この本の副題は「編集の魂は細部に宿る」とあります。

私は、この新書の細部が気になりました(笑)。
では、その細部をひろってゆきます。


「単行本にする原稿を読みながら編集者はまず何を考えるのか。・・・タイトルと判型をどうするかが頭のなかを駆け巡ります。なぜなら、この両者が本作りの方向性を決定する・・・小説のタイトルはそれをも含めて作品であって、著者の聖域に近い。・・・しかし、文学者以外の著者の場合、通常、タイトルは編集者が考える、いや捻り出すものです。これが実にむずかしい。・・・毎回苦心惨憺(さんたん)、下手をすると考えるほどに負のスパイラルに陥りかねません。最後のぎりぎりまで決まらないこともしばしばですし、同僚や編集長のアドヴァイスに助けられることもあります。」(p37~38)

 では、つづけていきます。
本文は、いたって豆知識的な内容を語っております。
それは、この新書の内容が、大学での授業から出発しているということと、関係しているようです。「書籍を中心としたジャーナリスト論」として、日本大学文理学部と東京大学大学院情報学環での講座を非常勤講師として受け持った記録としてもあるのでした。
その豆知識をひとつぐらいは、

「書籍の本文をあえて横組にするのは、どちらかと言えば読む本というより使う本、例えば、算用数字や欧文が頻出する辞書や技術書やガイド・ブックなどのケースです。」(p51)

さて、細部にもどりましょう。

「いかに優れた著者であっても、完璧な原稿というものはありません。短い原稿ならともかく、一冊の本となる原稿ともなれば、誤記も思い違いもどこかにかならずある。・・また、引用となると、いかなる著者であれ、これがまた実に間違いが生じやすい。」(p76)

柴田氏の編集者としての仕事と視点という細部を見てみましょう。

「個人全集というものは、長年にわたって書籍の編集者をやっていても、無縁の人もいるし、経験するとしてもほんの数回です。『平野謙全集』を最初として、以後、私は『河上徹太郎著作集』全7巻・・『吉田健一集成』、『辻邦生全集』全20巻に担当者やデスクや関係者として携わりました」(p176)


各単行本について語られた箇所があります。

 谷沢永一著「回想 開高健」をとりあげた箇所で

「こう書くのはかなりはばかられるのですが、しかるべき作家が亡くなった時、担当編集者は不思議なほど張り切るものです。葬儀の手伝いに駆けつけのは当然ですが、仕事はそれだけではありません。未発表の作品は遺されていないか。追悼文はどなたにお願いするか。著作権継承者はどなたになるのか。あれこれ考えたり確認したりしなければならないわけです。
開高健さんがなくなったのは1989年。当時は『新潮』の編集部にいましたから、担当者ではなかったものの、すぐ追悼特集の対談を考えました。候補のお一人は生涯の友人である谷沢永一さんで、これはもう絶対。もうお一人は作品を高く評価していた劇作家にして評論家の山崎正和さん。
対談は数かぎりなくやってきましたが、これほどに実現してよかったと思う対談は他にありません。内容がしっかりとあり、追悼にもかかわらずユーモアも十分にある対談でした。ユーモアがお二人の深い悲しみの裏返しの表現であることはもちろんです。これこそ大人の、あるいはプロの文学者の対応というものでしょう。・・・・『新潮』1991年12月号の一挙掲載で実現し、単行本化にあたってデスクを務めたのが『回想 開高健』です。」(p188~189)

うん。私の本棚にも『新潮』1991年12月号があります。
あれ、第一章を読んだら、そこから先へ読み進めなくなった思い出があります。まるで、第一章だけを何度も繰り返し味わっていたのでした。
( 残念、「新潮」の対談の方は読んだのかどうかわすれました。
この対談は単行本化されているのだろうかなあ。)


「新潮社の編集者としては新書編集部で最後を迎えることになるのですが、その二年ほど前から最後の本はどなたに書いていただこうかと考えていました。もし可能なら、若い頃から何度も仕事をさせていただいた山崎正和さん以外にはありません。知の何たるかを一番に学んできた著者だったからです。」(p199)

  こうして『文明としての教育」(新潮新書)ができるのでした。

「編集に関して記すべきは『聞き書き』、つまり話を聞いてまとめるという作業です。・・長時間にわたって話を聞き、それをまとめる作業はかなりの努力と工夫が要るものの、こんな面白い仕事もそうはなく、他人にまかせる手はないでしょう。・・・・ほんの少しだけ思い出を記せば、終戦直後の満州で受けた教育の話は、こんな凡庸な言葉を使いたくはないのですが、衝撃的で、これだけでもお願いした甲斐があったと感激したものです。・・・・・編集者にとって、聞き書きとはその世界の第一人者の方から長時間にわたって独占的に話が聞けるチャンス。よく私は『月給をもらった上に最高の授業が受けられる』などと冗談を飛ばすのですが、これもまた編集者冥利に尽きる仕事です。」


こういう細部が読めてよかったという新書一冊。
つぎは、山崎正和著「文明としての教育」を読みたくなりました。
コメント
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