いまは、新聞の一面コラムをそんなに読まなくなりました。
それでも、天声人語・産経抄・編集手帳という順番で、たどりたくなります。
坪内祐三著「考える人」(新潮社)でとりあげられている人の一人に深代惇郎氏が登場しておりました。ちょっとそこを引用してゆきます。
「ジャーナリストやコラムニストは、その現役の時に出会えなければ、過去の人として、復活されにくい。つまり、言説が、同時代の中で、消費されてしまう。」
さてっと、ここからすこし飛ばして、坪内氏は、ご自身の生徒の頃を語ります。
「今の中学、高校の国語(現代国語)の授業方針はどうなっているのか知りませんが、当時、私の中学、高校生時代には、国語力をつけるために『天声人語』を読むことが奨励されていました。例えば夏休みには、毎日の『天声人語』についての二、三百字程度の要約が課題(宿題ではなく課題だったと思います)で出されました。私が『天声人語』を熱心に読むようになったのは、そういう教育方針に導かれてのことだと思います。・・・それがたまたま深代惇郎の担当時期に当っていたのですから(そのこと、筆者が誰であるかということに、当時の私は、もちろん、無自覚でした――つまりあくまで匿名コラムとして愛読していたのです)。それはとても幸福なことでした。
しかし、その結果、『天声人語』イコール深代惇郎レベルの文章という印象が体に深くしみついてしまったのは不幸なことでした。それ以後の『天声人語』はろくなものじゃない。」
ここで坪内氏は、「ろくなものじゃない」ことを、きちんと指摘するのです。
「元『天声人語』子というキャリアをバックに、それらの人たちは、カルチュアースクールの文章教室の講師をしたり、『上手な文章の書き方』といったたぐいの本を出版したりしますが、皆、しょせん『社内名文家』にすぎません。
深代惇郎と、それ以後の『天声人語』の違いは、端的に言って、教養の違いです。ただ教養がるかないかということではなく、より具体的に述べれば、教養のふところの深さの違いです。そしてその深代惇郎の教養のふところの深さは、タイムリーなネタに困った時に、真価を発揮します。・・・」
まあ、こうして一例をひいております。
うん、天声人語はこのくらいにします。
つぎ、産経抄の石井英夫氏にいきます。
こちらは、司馬遼太郎氏に語っていただきましょう。
石井英夫著「コラムばか一代 産経抄の35年」(産経新聞社)に、司馬さんからのはがきの文面を引用してあり、そこをあらためて、孫引きいたします。
「たびたびはがきをいただいたが、はがきの全面にびっしりと太い万年筆で小さな文字が埋めつくされているのが常だった。たとえばこういうのがある。『(前略)なんといっても、この歴史的な時代に、石井さんは現場のまっただなかにあって、自分の呼吸を書きつづけることができるのです。きょう、朝日の秦正流さんから来翰あり、『老骨、現場に身を置かざるくやしさ』とありました。石井さんはその至福を得ている人だと思うと、ナミダがこぼれるほどうれしいことですね。若武者のような――堅牢さと花やぎをもって、一回々々書いて行って下さい。すぐれた才質と、ひかえめなお人柄のせいとはいえ、石井さんは日本の記者のなかでいちばん幸福なのです・・・』(平成三年七月十日付)」(p145)
「昭和63年度の日本記者クラブ賞を頂戴したときにいただいたはがきはこうである。『いいことづくめで、お疲れになったでしょう。それでも毎朝、力のみなぎった『サンケイ抄』(このごろは『産経抄』)を拝読して、当方はしあわせであります。』
「またたとえば、これは小欄が菊池寛賞を受けたときにいただいたはがきである。『(前略)菊池寛賞のこと、テレビ(NHK)正午のニュースで知り、大きなよろこびがこみあげました。又、きょう『産経抄』のコラム、すばらしかったですね。魅力のほどがわかりました。すきとおった謙虚さなんですね。楚人冠から深代惇郎、細川忠雄さんまで回顧して、霊前に菊を供されている姿がなんともよかったです。それに菊池寛のこと、小欄の恐縮、うれしいですね。小生、むかし楚人冠は日本文学史上の人だといいますと、桑原武夫さんも『私もそれが持論です、文壇は狭隘ですね』といわれたのをおぼえています。細川さんは、しょっちゅう手紙を下さったのでひとしおなつかしい思いです』(p145~146)
さてっと、その石井英夫氏の「産経抄」が読めなくなって、もう何年たつのでしょう。平成16年12月28日まで書き続けたようです。
2010年の雑誌「WILL」7月号に、
「石井英夫の今月この一冊」という欄では、
竹内政明著「名文どろぼう」を取り上げておりました。
せっかくですから、引用します。最初から
「日本の新聞には、たいがい朝刊の一面の下にコラムというへんちくりんな欄がある。・・・・・そんな各紙のコラムのなかで、いまいちばん世評が高いのが読売新聞の『編集手帳』であるという。この著者はその六代目の担当者だ。『編集手帳』が好評なわけは、まず文章の切れ味の良さにある。同時に、コラムに引用する古今東西の言葉や文献がユニークで、斬新で、多彩であることだろう。」
まあ、2ページの文を石井氏はこうはじめておりました。
そこで、その本「名文どろぼう」(文春新書)を読んだというわけです。
その「ユニークで、斬新で、多彩」な引用の言葉を、味わったのでした。
それでも、天声人語・産経抄・編集手帳という順番で、たどりたくなります。
坪内祐三著「考える人」(新潮社)でとりあげられている人の一人に深代惇郎氏が登場しておりました。ちょっとそこを引用してゆきます。
「ジャーナリストやコラムニストは、その現役の時に出会えなければ、過去の人として、復活されにくい。つまり、言説が、同時代の中で、消費されてしまう。」
さてっと、ここからすこし飛ばして、坪内氏は、ご自身の生徒の頃を語ります。
「今の中学、高校の国語(現代国語)の授業方針はどうなっているのか知りませんが、当時、私の中学、高校生時代には、国語力をつけるために『天声人語』を読むことが奨励されていました。例えば夏休みには、毎日の『天声人語』についての二、三百字程度の要約が課題(宿題ではなく課題だったと思います)で出されました。私が『天声人語』を熱心に読むようになったのは、そういう教育方針に導かれてのことだと思います。・・・それがたまたま深代惇郎の担当時期に当っていたのですから(そのこと、筆者が誰であるかということに、当時の私は、もちろん、無自覚でした――つまりあくまで匿名コラムとして愛読していたのです)。それはとても幸福なことでした。
しかし、その結果、『天声人語』イコール深代惇郎レベルの文章という印象が体に深くしみついてしまったのは不幸なことでした。それ以後の『天声人語』はろくなものじゃない。」
ここで坪内氏は、「ろくなものじゃない」ことを、きちんと指摘するのです。
「元『天声人語』子というキャリアをバックに、それらの人たちは、カルチュアースクールの文章教室の講師をしたり、『上手な文章の書き方』といったたぐいの本を出版したりしますが、皆、しょせん『社内名文家』にすぎません。
深代惇郎と、それ以後の『天声人語』の違いは、端的に言って、教養の違いです。ただ教養がるかないかということではなく、より具体的に述べれば、教養のふところの深さの違いです。そしてその深代惇郎の教養のふところの深さは、タイムリーなネタに困った時に、真価を発揮します。・・・」
まあ、こうして一例をひいております。
うん、天声人語はこのくらいにします。
つぎ、産経抄の石井英夫氏にいきます。
こちらは、司馬遼太郎氏に語っていただきましょう。
石井英夫著「コラムばか一代 産経抄の35年」(産経新聞社)に、司馬さんからのはがきの文面を引用してあり、そこをあらためて、孫引きいたします。
「たびたびはがきをいただいたが、はがきの全面にびっしりと太い万年筆で小さな文字が埋めつくされているのが常だった。たとえばこういうのがある。『(前略)なんといっても、この歴史的な時代に、石井さんは現場のまっただなかにあって、自分の呼吸を書きつづけることができるのです。きょう、朝日の秦正流さんから来翰あり、『老骨、現場に身を置かざるくやしさ』とありました。石井さんはその至福を得ている人だと思うと、ナミダがこぼれるほどうれしいことですね。若武者のような――堅牢さと花やぎをもって、一回々々書いて行って下さい。すぐれた才質と、ひかえめなお人柄のせいとはいえ、石井さんは日本の記者のなかでいちばん幸福なのです・・・』(平成三年七月十日付)」(p145)
「昭和63年度の日本記者クラブ賞を頂戴したときにいただいたはがきはこうである。『いいことづくめで、お疲れになったでしょう。それでも毎朝、力のみなぎった『サンケイ抄』(このごろは『産経抄』)を拝読して、当方はしあわせであります。』
「またたとえば、これは小欄が菊池寛賞を受けたときにいただいたはがきである。『(前略)菊池寛賞のこと、テレビ(NHK)正午のニュースで知り、大きなよろこびがこみあげました。又、きょう『産経抄』のコラム、すばらしかったですね。魅力のほどがわかりました。すきとおった謙虚さなんですね。楚人冠から深代惇郎、細川忠雄さんまで回顧して、霊前に菊を供されている姿がなんともよかったです。それに菊池寛のこと、小欄の恐縮、うれしいですね。小生、むかし楚人冠は日本文学史上の人だといいますと、桑原武夫さんも『私もそれが持論です、文壇は狭隘ですね』といわれたのをおぼえています。細川さんは、しょっちゅう手紙を下さったのでひとしおなつかしい思いです』(p145~146)
さてっと、その石井英夫氏の「産経抄」が読めなくなって、もう何年たつのでしょう。平成16年12月28日まで書き続けたようです。
2010年の雑誌「WILL」7月号に、
「石井英夫の今月この一冊」という欄では、
竹内政明著「名文どろぼう」を取り上げておりました。
せっかくですから、引用します。最初から
「日本の新聞には、たいがい朝刊の一面の下にコラムというへんちくりんな欄がある。・・・・・そんな各紙のコラムのなかで、いまいちばん世評が高いのが読売新聞の『編集手帳』であるという。この著者はその六代目の担当者だ。『編集手帳』が好評なわけは、まず文章の切れ味の良さにある。同時に、コラムに引用する古今東西の言葉や文献がユニークで、斬新で、多彩であることだろう。」
まあ、2ページの文を石井氏はこうはじめておりました。
そこで、その本「名文どろぼう」(文春新書)を読んだというわけです。
その「ユニークで、斬新で、多彩」な引用の言葉を、味わったのでした。