司馬遼太郎著「坂の上の雲」の第一巻の巻末あとがきに、
有名なあの言葉があるのでした。
「・・・そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。」
この次の一行を司馬さんは、どう書いていたか、
というと、
「子規について、ふるくから関心があった。」
とつながっているのでした。
さてっと、朝日新聞社から
司馬遼太郎の未公開講演録が出ております
(私は、写真がふんだんに掲載された最初の週刊朝日増刊号の雑誌版ががぜん気に入っております)。そこに「いま子規をわれらに」という題で、鼎談が載っておりました。
「日本の文学のなかで大事な俳句・短歌というものを、新しい美学で変えてしまった子規ですが、国文科に進んだときには、そんな自分の将来は思ってもみなかったでしょう。おそらくは英語の力がないために国文科を選んだと思うのですが、それも中途でやめてしまう。
まあ、子規の青春を時代とのかかわりでいえばこうなるのですが、わりあいズッコケた青春ですね。
ですから夜店に行ったり、縁日の古本屋で読本や句集を買ったんでしょうね。タダ同然だったでしょう。俳句をやる人といえば、当時、敗北者だったり、隠居をした人だったりですね。生きのいい青年の、明治書生がやるようなものではない。それを一生懸命集めたんですが、最初から志があったのかどうか。やがて強烈な志となって古い俳句を集め、それを見つめ直して新しい道を提示する方向へと進むのですが、そのころにはすでに病気になっています。」
まあ、こう司馬さんが話しております。
そのあとに、山本健吉氏が
「子規という人はあいまいなことが嫌いで、はっきりものを言う人でしたから、達意の文章を目指した。俳句や短歌も非常にはっきりしていますね。あの人のイメージははっきりしすぎていて、日本の詩人たちのなかには物足りないという批判もあるぐらいですが、とにかく志ですね。私はそれが子規の文学の心棒、中心点だと思いますね。」
このあと、司馬さんでした。
「原典は忘れましたが、中国の古い本で読んだことがありまして、女の人というのは恨みを述べるためにあって、男の人というのは志を述べるためにあるんだと。なるほど子規の俳句も散文も生涯も、志のためにあるんですね。明治人ですね。私は子規の散文が好きなんですよ。暇があるとよく読み、すぐ忘れてしまうからいつでも新鮮なんです。『墨汁一滴』もいいし、『仰臥漫録』も、『病牀六尺』もおもしろい。ときどき、へぇー、こんなことを書いていたのかと思います。」
それはそれとして、
司馬さんの指摘する
「夜店に行ったり、縁日の古本屋で読本や句集を買ったんでしょうね。タダ同然だったでしょう。」というのが印象に残ります。
タダ同然の読本や句集。
タダ同然の子規の時間。
そういえば、清水一嘉著「自転車に乗る漱石 百年前のロンドン」(朝日選書)のなかの「古本屋めぐり」などを思い浮かべたりします。
有名なあの言葉があるのでした。
「・・・そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。」
この次の一行を司馬さんは、どう書いていたか、
というと、
「子規について、ふるくから関心があった。」
とつながっているのでした。
さてっと、朝日新聞社から
司馬遼太郎の未公開講演録が出ております
(私は、写真がふんだんに掲載された最初の週刊朝日増刊号の雑誌版ががぜん気に入っております)。そこに「いま子規をわれらに」という題で、鼎談が載っておりました。
「日本の文学のなかで大事な俳句・短歌というものを、新しい美学で変えてしまった子規ですが、国文科に進んだときには、そんな自分の将来は思ってもみなかったでしょう。おそらくは英語の力がないために国文科を選んだと思うのですが、それも中途でやめてしまう。
まあ、子規の青春を時代とのかかわりでいえばこうなるのですが、わりあいズッコケた青春ですね。
ですから夜店に行ったり、縁日の古本屋で読本や句集を買ったんでしょうね。タダ同然だったでしょう。俳句をやる人といえば、当時、敗北者だったり、隠居をした人だったりですね。生きのいい青年の、明治書生がやるようなものではない。それを一生懸命集めたんですが、最初から志があったのかどうか。やがて強烈な志となって古い俳句を集め、それを見つめ直して新しい道を提示する方向へと進むのですが、そのころにはすでに病気になっています。」
まあ、こう司馬さんが話しております。
そのあとに、山本健吉氏が
「子規という人はあいまいなことが嫌いで、はっきりものを言う人でしたから、達意の文章を目指した。俳句や短歌も非常にはっきりしていますね。あの人のイメージははっきりしすぎていて、日本の詩人たちのなかには物足りないという批判もあるぐらいですが、とにかく志ですね。私はそれが子規の文学の心棒、中心点だと思いますね。」
このあと、司馬さんでした。
「原典は忘れましたが、中国の古い本で読んだことがありまして、女の人というのは恨みを述べるためにあって、男の人というのは志を述べるためにあるんだと。なるほど子規の俳句も散文も生涯も、志のためにあるんですね。明治人ですね。私は子規の散文が好きなんですよ。暇があるとよく読み、すぐ忘れてしまうからいつでも新鮮なんです。『墨汁一滴』もいいし、『仰臥漫録』も、『病牀六尺』もおもしろい。ときどき、へぇー、こんなことを書いていたのかと思います。」
それはそれとして、
司馬さんの指摘する
「夜店に行ったり、縁日の古本屋で読本や句集を買ったんでしょうね。タダ同然だったでしょう。」というのが印象に残ります。
タダ同然の読本や句集。
タダ同然の子規の時間。
そういえば、清水一嘉著「自転車に乗る漱石 百年前のロンドン」(朝日選書)のなかの「古本屋めぐり」などを思い浮かべたりします。