小西甚一著「俳句の世界 発生から現代まで」(講談社学術文庫)を、今回初めて出会えたように読めてよかった。こんな時こそ、その魅力を、他の方から聞きたくなります。
ということで、書評家の何人かに登場していただきます。
ここが、書評を読む醍醐味。
まず、山野博史。
「好きなことを好きなように勉強して、その成果がとてつもなく豪勢であるという学問はめったにあるものではない。『日本文学史』から『日本文藝史』へと連なる小西甚一の颯爽たる仕事ぶりに接すると、ほんものの物学びはいかにも底が深いことが実感されて、胸にあついものがこみあげてくる。」(「本は意なのも味なもの」潮出版社)
先を急ぎすぎました。
谷沢永一著「人生の叡智」(PHP研究所)に
「・・実はこの意欲的な『日本文学史』の前に、予め小西甚一は『俳句(発生より現代まで)』を刊行済み、難所は既に悠々と切り抜け、包丁捌きに自信ををつけた上で、表現意識史観の提唱に及んだのかも知れない。この溌剌たる快著が訂補改版、『俳句の世界(発生から現代まで)』となって蘇ったのは朗報である。
元来は東京高師での初級向き講義ノート、そして最初は高校から大学教養課程向きの出で立ちで現れたというものの、小西甚一の常に明快な要点集中主義は類書との比較を絶し・・・俳句史の展望はこの一冊で十分と請け合いたい程、史眼と鑑賞を融合して切り込み鮮やかな、ザックバラン調の興趣を堪能し得る。極度に専門的な交渉に耽った論文に於いてでも、思い切って枝葉を狩り込む潔癖な勇断が、語り口にダイナミックな緊迫と壮快を生み、但し装飾的な文学臭の思い入れや弁論術とは無縁、予備知識のない手ぶら読者へ直裁に語りかけ、一気に手繰り寄せて魅了する辣腕では、西に宮崎市定あり東に小西甚一ありと評すべきか。」(初収:「閻魔さんの休日」)
つぎは、向井敏著「残る本残る人」(新潮社)
そこに、「小西甚一の俳諧研究史」と題して「俳句の世界」を取り上げておりました。
「この本は戦後もまもない昭和22年から翌23年にかけて、東京高等師範学校でおこなわれた『俳諧史概説』の講義ノートをもとにして成ったものだというが、そのときから数えて半世紀余、周密な俳諧研究や気鋭の俳句論が山をなす今日なお、鮮度と魅力をよく保ちつづけ、五百年近い歴史をもつ俳諧、俳句の全体像をうかがうのに、この上なく頼りになる概説書という資格を失わずにいる。」
あとは、
谷沢永一・山野博史・加地伸行の鼎談「三酔人書国悠遊」(潮出版社)。
ここでは「奇跡のひと 小西甚一」と題して
小西甚一の「日本文藝史」全五巻をとりあげておりました。
加地】 小西さんの実証主義は、若き日の恩師である能勢朝次(1894~1955)さんに鍛えられたんですか。
谷沢】 能勢さんの考証学というのは、必要十分なことだけをいうのが特徴でした。なにが大事で、なにがセカンドかということの見極めにメリハリがある。
山野】 ・・・・小西さんの文章は、若いころからまったく変わりませんね。明快な散文精神がこゆるぎもしない。
加地】 小西さんがお書きの受験参考書を拝見しても、文体は一緒。
谷沢】 受験参考書のレベルは、戦後、落ちましたが、戦前は高かったんです。小野圭次郎にしろ、塚本哲三にしろ、これは立派なものでした。そうしたなかで、戦前をはるかにこえる参考書を書いたのが小西甚一です。
う~ん。、
私には小西甚一著「日本文藝史」は、いまだ歯がたたないのでした。
でもね、「俳句の世界 発生から現代まで」は楽しめる。
ということで、書評家の何人かに登場していただきます。
ここが、書評を読む醍醐味。
まず、山野博史。
「好きなことを好きなように勉強して、その成果がとてつもなく豪勢であるという学問はめったにあるものではない。『日本文学史』から『日本文藝史』へと連なる小西甚一の颯爽たる仕事ぶりに接すると、ほんものの物学びはいかにも底が深いことが実感されて、胸にあついものがこみあげてくる。」(「本は意なのも味なもの」潮出版社)
先を急ぎすぎました。
谷沢永一著「人生の叡智」(PHP研究所)に
「・・実はこの意欲的な『日本文学史』の前に、予め小西甚一は『俳句(発生より現代まで)』を刊行済み、難所は既に悠々と切り抜け、包丁捌きに自信ををつけた上で、表現意識史観の提唱に及んだのかも知れない。この溌剌たる快著が訂補改版、『俳句の世界(発生から現代まで)』となって蘇ったのは朗報である。
元来は東京高師での初級向き講義ノート、そして最初は高校から大学教養課程向きの出で立ちで現れたというものの、小西甚一の常に明快な要点集中主義は類書との比較を絶し・・・俳句史の展望はこの一冊で十分と請け合いたい程、史眼と鑑賞を融合して切り込み鮮やかな、ザックバラン調の興趣を堪能し得る。極度に専門的な交渉に耽った論文に於いてでも、思い切って枝葉を狩り込む潔癖な勇断が、語り口にダイナミックな緊迫と壮快を生み、但し装飾的な文学臭の思い入れや弁論術とは無縁、予備知識のない手ぶら読者へ直裁に語りかけ、一気に手繰り寄せて魅了する辣腕では、西に宮崎市定あり東に小西甚一ありと評すべきか。」(初収:「閻魔さんの休日」)
つぎは、向井敏著「残る本残る人」(新潮社)
そこに、「小西甚一の俳諧研究史」と題して「俳句の世界」を取り上げておりました。
「この本は戦後もまもない昭和22年から翌23年にかけて、東京高等師範学校でおこなわれた『俳諧史概説』の講義ノートをもとにして成ったものだというが、そのときから数えて半世紀余、周密な俳諧研究や気鋭の俳句論が山をなす今日なお、鮮度と魅力をよく保ちつづけ、五百年近い歴史をもつ俳諧、俳句の全体像をうかがうのに、この上なく頼りになる概説書という資格を失わずにいる。」
あとは、
谷沢永一・山野博史・加地伸行の鼎談「三酔人書国悠遊」(潮出版社)。
ここでは「奇跡のひと 小西甚一」と題して
小西甚一の「日本文藝史」全五巻をとりあげておりました。
加地】 小西さんの実証主義は、若き日の恩師である能勢朝次(1894~1955)さんに鍛えられたんですか。
谷沢】 能勢さんの考証学というのは、必要十分なことだけをいうのが特徴でした。なにが大事で、なにがセカンドかということの見極めにメリハリがある。
山野】 ・・・・小西さんの文章は、若いころからまったく変わりませんね。明快な散文精神がこゆるぎもしない。
加地】 小西さんがお書きの受験参考書を拝見しても、文体は一緒。
谷沢】 受験参考書のレベルは、戦後、落ちましたが、戦前は高かったんです。小野圭次郎にしろ、塚本哲三にしろ、これは立派なものでした。そうしたなかで、戦前をはるかにこえる参考書を書いたのが小西甚一です。
う~ん。、
私には小西甚一著「日本文藝史」は、いまだ歯がたたないのでした。
でもね、「俳句の世界 発生から現代まで」は楽しめる。