ワイド版岩波文庫「墨汁一滴」を読み始めました。
面白いのですが、私には一日では読み終えられません。
墨汁一滴を読んでいると
子規の数ということに興味がいきます。
鶏頭の十四五本もありぬべし 子規
「も」についても話がひろがるのですが、
ここでは、高浜虚子選の岩波文庫「子規句集」について
ここには、「鶏頭の・・」の句は選ばれておりません。
小西甚一著「俳句の世界」(講談社学術文庫)の
正岡子規の箇所をのぞいて見ますと、こうあります。
「『鶏頭の』は、加藤楸邨がひどくほめちぎった句で、子規の到りついた最高境を示す傑作だと、たぶん昭和十七八年ごろから、事あるごとに力説したものである。それが俳壇的問題とまで発展・・・斉藤茂吉も褒めた。それが昭和二十六年ごろ、ジャーナリズムの好餌になったわけ。ところが、虚子はこの句を黙殺し、碧梧桐と共編の『子規句集』でも採らなかった。ふしぎなことに、この句を絶讃した緒家は、なぜ名句なのかを全然説明しようとしない。たぶん宗教ふうインスピレイションのなせるわざらしく、文芸的経験に還元できる批評ではあるまい。・・」(p266)
そういえば、今日は、よい月夜。
ガラス窓を閉める時に満月にちらりと挨拶。
「仰臥漫録」には、こんな句がありました。
十三四五六七夜月なかりけり
ここにも、数が並んでる。
面白いのですが、私には一日では読み終えられません。
墨汁一滴を読んでいると
子規の数ということに興味がいきます。
鶏頭の十四五本もありぬべし 子規
「も」についても話がひろがるのですが、
ここでは、高浜虚子選の岩波文庫「子規句集」について
ここには、「鶏頭の・・」の句は選ばれておりません。
小西甚一著「俳句の世界」(講談社学術文庫)の
正岡子規の箇所をのぞいて見ますと、こうあります。
「『鶏頭の』は、加藤楸邨がひどくほめちぎった句で、子規の到りついた最高境を示す傑作だと、たぶん昭和十七八年ごろから、事あるごとに力説したものである。それが俳壇的問題とまで発展・・・斉藤茂吉も褒めた。それが昭和二十六年ごろ、ジャーナリズムの好餌になったわけ。ところが、虚子はこの句を黙殺し、碧梧桐と共編の『子規句集』でも採らなかった。ふしぎなことに、この句を絶讃した緒家は、なぜ名句なのかを全然説明しようとしない。たぶん宗教ふうインスピレイションのなせるわざらしく、文芸的経験に還元できる批評ではあるまい。・・」(p266)
そういえば、今日は、よい月夜。
ガラス窓を閉める時に満月にちらりと挨拶。
「仰臥漫録」には、こんな句がありました。
十三四五六七夜月なかりけり
ここにも、数が並んでる。