和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

柿ぴたり。

2011-09-04 | 詩歌
読み齧(かじ)りの岩波文庫「子規句集」を、またパラパラ。
この文庫は、高浜虚子選。
俳句は、まとめて眺めるほうが、面白い。
と、最近、思えてきます。
今回、気づいた句は、
やっぱりこの時季にふさわしい句。

  秋立てば淋(さび)し立たねばあつくるし (明治28年)

  こほろぎや物音絶えし台所        (明治34年)
 
  秋の蚊のよろよろと来て人を刺す     (明治34年)


この高浜虚子選「子規句集」の解説は坪内捻典。
そこに

「『子規句集』の作品は明治28年分が格別に多いが、それはその年から子規の『純粋俳諧生活』が始まったと虚子が見ていたからである。この年、日清戦争に新聞記者として従軍した子規は、重態に陥って帰国し、『死はますます近きぬ、文学はやうやく佳境に入りぬ』という悲壮な覚悟で俳句に打ち込む。」(p344)

とあります。その明治28年の俳句に
「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書があるところの

   柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

がある。
井上泰至氏は、この句について、

「余りに有名なこの句の詩情は、『柿』の味にかなりの部分を負っている。甘味が当たり前に手に入り、それがために成人病が頻発するまでになっている今日では、この味覚の有り難味そのものが薄れてしまっている。筆者(井上氏のこと)の母方は遡れば、鹿児島なのだが、かの地の薩摩揚げが甘いのは砂糖黍の産地を抱えていたと同時に、甘味が贅沢であり、薬でもあり、もてなしでもあった証拠である。甘味に飢えた時代、『柿』の淡くて柔らかい甘さは、ある懐かしさを持っていた。この句が、旅人の目で日本の原郷の風景を詠んだ故に愛唱されたことは・・書いておいたが、郷愁を呼び起こす味覚として『柿』はぴたりとはまったのである。・・」(p144・「子規の内なる江戸」)

うん。この指摘には、深みがありますよね。
甘さがひろがるというか、
俳句の味わいということに思い至ります。


ちなみに、明治29年には

 柿くふや道灌山の婆(ばば)が茶屋

 渋柿は馬鹿の薬になるまいか


もどって、明治28年

 漱石が来て虚子が来て大三十日(おおみそか)

  「漱石来るべき約あり」という前書きで

 梅活けて君待つ庵(いお)の大三十日
コメント
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