東日本大震災以降に、読んだ本で吉村昭著「三陸海岸大津波」が、印象鮮やか。この本は、吉村昭氏の年譜によると、1970年7月に『海の壁』という題で中公新書の一冊として出ております。ちなみに、同じ1970年7月に「戦艦武蔵ノート」も図書出版社より出ておりました。
さて、毎日新聞2011年9月11日(日曜日)「今週の本棚」の「この人・この3冊」は高山文彦選「吉村昭」でした。
① 三陸海岸大津波
② 関東大震災
③ 羆嵐(くまあらし)
という、吉村昭の3冊が選ばれておりました。
新聞紙というのは、読み返したい時に見あたらないという常識(笑)。
ここは、短文でも、気になる箇所なので、書きとめておきます。
それは、こうはじまっておりました。
「東日本大震災から今日で半年を迎えた。津波や原発事故を描くルポルタージュがいろいろ発表されているが、ずっと昔に書かれた吉村昭さんの『三陸海岸大津波』が、いまなお圧倒的な存在感を放つのはどうしたわけなのか。
明治、昭和の大津波を中心に書かれているので、話は古い。文庫の解説を頼まれたとき(平成16年11月のことだった)、いまの人たちが読んでくれるだろうかと、余計な心配をした。
読んでいくうちに、私は巨大津波の渦のなかに頭から巻き込まれていた。いつ襲いかかってくるかわからぬ津波。それに呑まれていく人びと。恐怖というものに、古いも新しいもない。資料や証言者の話を、吉村さんは私情を交えず客観的にしるしていく。正確であろうと努める態度が、読む側に必死の警告を伝えてくる。
これは日本人への遺言なのではないかと、私は直感した。昭和8年の大津波から70年が過ぎている。初版は昭和45年。長い間忘れられていた記録をもう一度よみがえらせるというのは、そろそろ大津波が三陸沿岸を襲ってもおかしくないという切迫した気持ちがあったからに違いない。文庫が出て二年後に吉村さんが亡くなったとき、私はこの印象をつよくした。・・・・」
話題がかわるのですが、この文中に「日本人への遺書」という言葉、そういえば、城山三郎・高山文彦対談「日本人への遺言」(講談社)というのがあったなあ。それよりも、吉村昭著「関東大震災」を私は読んでいない体(てい)たらく。
さて、毎日新聞2011年9月11日(日曜日)「今週の本棚」の「この人・この3冊」は高山文彦選「吉村昭」でした。
① 三陸海岸大津波
② 関東大震災
③ 羆嵐(くまあらし)
という、吉村昭の3冊が選ばれておりました。
新聞紙というのは、読み返したい時に見あたらないという常識(笑)。
ここは、短文でも、気になる箇所なので、書きとめておきます。
それは、こうはじまっておりました。
「東日本大震災から今日で半年を迎えた。津波や原発事故を描くルポルタージュがいろいろ発表されているが、ずっと昔に書かれた吉村昭さんの『三陸海岸大津波』が、いまなお圧倒的な存在感を放つのはどうしたわけなのか。
明治、昭和の大津波を中心に書かれているので、話は古い。文庫の解説を頼まれたとき(平成16年11月のことだった)、いまの人たちが読んでくれるだろうかと、余計な心配をした。
読んでいくうちに、私は巨大津波の渦のなかに頭から巻き込まれていた。いつ襲いかかってくるかわからぬ津波。それに呑まれていく人びと。恐怖というものに、古いも新しいもない。資料や証言者の話を、吉村さんは私情を交えず客観的にしるしていく。正確であろうと努める態度が、読む側に必死の警告を伝えてくる。
これは日本人への遺言なのではないかと、私は直感した。昭和8年の大津波から70年が過ぎている。初版は昭和45年。長い間忘れられていた記録をもう一度よみがえらせるというのは、そろそろ大津波が三陸沿岸を襲ってもおかしくないという切迫した気持ちがあったからに違いない。文庫が出て二年後に吉村さんが亡くなったとき、私はこの印象をつよくした。・・・・」
話題がかわるのですが、この文中に「日本人への遺書」という言葉、そういえば、城山三郎・高山文彦対談「日本人への遺言」(講談社)というのがあったなあ。それよりも、吉村昭著「関東大震災」を私は読んでいない体(てい)たらく。