和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

学界では。

2011-11-04 | 短文紹介
中西輝政著「国民の覚悟」(到知出版社)を再読。
言葉なんて、何とでも言えるので、
なかなか、これはと思える方を見つけ出せないでおりました。
けれど、東日本大震災が、言葉に篩(ふるい)をかけて、
これは、という人を選んでくださった。
私には、大震災がなければ、中西輝政氏の大切さが
分からずじまいだったと思われます。

さてっと、中西輝政への入門篇として読んでいるのですが、
さっそく、中西輝政のポジションに触れてみたいのでした。

渡部昇一・宮脇淳子対談で、こんな箇所がありました。

宮脇】 通史をやると、相当の大御所でないかぎり、学界では『お前はそんなに偉いのか』と言われます。功なり名遂げた人が最後にやる仕事であって、そうでない人は手を出せないという暗黙の了解があるんです。たとえば、宋代史研究者であれば宋だけ。清代史研究者であれば清だけ。満州はここに入りません。近現代史には辛亥革命以降しかやらない。割り振ったらあとはお互いの領分には口出ししないという、タテ割りになっているのです。
 ・・・・・・・・  
宮脇】 ・・学界では、最も興味深い歴史の転換点、王朝交代時のことはほとんど誰もやりませんし、地域と地域の境界もやりたがらない。それぞれの専門の中心だけが盛んで、グラデーションの部分は時代も地域も研究がない状況になっています。
渡部】 歴史は転換期が一番面白い。・・・
      (p273~275・「渡部昇一、『女子会』に挑む!」WAC)


それでは、中西輝政氏は、どういうポジションなのか?
ありました。中西輝政著「本質を見抜く『考え方』」(サンマーク文庫)に

「私の専門は国際政治学で、とりわけ世界が大きく変化するときには、どういう要因で変化するのかということを考える国際秩序論を専門にしています。その研究にはいろいろな方法がありますが、私の場合は『歴史を通じて考える』ようにしています。・・・」(p223)

読み始めると、
どうやら、『学界では』捜し出せない、
重要なテーマを掲げられている人だと、わかってくるのでした。

ちなみに、「本質を見抜く『考え方』」(サンマーク文庫)には
恩師への言及もあります。

「私が大学時代の恩師・高坂正堯先生(元京都大学教授・国際政治学)に初めて会ったのは、大学院に進学してすぐのころでした。忘れられないのは、先生が私たち法学部の学生に、『君たち、歴史の勉強をしなさいよ』と繰り返しいっていたことです。・・・
その後、イギリスのケンブリッジ大学に留学しましたが、ここで国際政治学らしきことを教えていたのはたった一人、のちに私を助手にしてくれた歴史学者のハリー・ヒンズリー先生でした。・・・先生は開口一番、『国際政治学などという学問はありません。そんなのはアメリカ人がいっていることです』『君がいままで勉強してきたことは、国際政治を理解するためには何の役にも立たない』とおっしゃいました。そして、『歴史に還元しないと何事も本当の知識にはならない』と、ここでもまた歴史が重要なファクターとなって出てきました。・・・」(p73~74)

そして、そのあとに、こんな箇所が出てくるのです。

「・・・私は奨学金が三年で切れたあと、恩師ヒンズリー先生の助手にしてもらったのですが、そのときの仕事の一つに、段ボール箱の資料整理がありました。ヒンズリー先生夫婦の仲人はリデル・ハート氏といって、著名な歴史学者なのですが、ちょうどそのハート氏が亡くなり、彼が残した資料の整理を手伝ったことがあったのです。ハート氏は、太平洋戦争に関する日本語の資料を山のように集めていました。その資料をもとに研究論文を書こうとしていたらしいのですが、その前に亡くなってしまったのです。その資料の中に、非常に興味深いものがありました。・・・」(p77~78)

おっと、あとは読んでのお楽しみ。
ということで。
私にしたところで、まだ読み始めたばかりなのです。

コメント
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