和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

捨てられない。

2011-11-07 | 地域
産経新聞10月7日に、脚本家・橋田壽賀子(86)さんの記事。
そこから、あれこれと思ったので、
ポツポツと引用。

「小学5年生のとき、母親に買ってもらったセルロイドの筆箱は、お守りのような宝物だ。『そばにあるだけで、死んだ母が何でも書かせてくれるような気がした』・・『ふと気づくと、身の回りにいらない物がこれでもか、とあふれていた』といい、震災以降は徹底して無駄を省き、質素に生きていこうと決心した。・・・」

ちなみに、橋田壽賀子著『簡素が、いちばん!』(大和書房)というエッセーを出したのだそうです。

橋田壽賀子といえば『おしん』。
それで、『おしん』の生家は、山形県の農家という設定でした。
そういえば、倉本聡の『前略おふくろ様』では、サブの故郷が山形という設定。そして田中絹代さん演じる山形の母親は、五本に一本程の割りで登場し、それ以外に時々山形から来る手紙の文章の朗読があったのでした。

司馬遼太郎著「街道をゆく十 羽州街道・佐渡のみち」
のはじまりは、

「私は東京を知らないために東北についても昏(くら)い。中学生のころ、箱根以東は一つの世界で、その東北の勢力が西南へのびることによって東京という町が形成されていると錯覚していた。・・・昭和一ケタから二ケタにかけて少年期を送った者としては、内閣といえば東京にあり、その内閣の首班か構成員にはめだつほどに多数の東北各県の出身者がいた。上方には東北出身者がほとんどいない。東北人の人名に接するのは新聞のその種のニュースのとき以外、まず無いのである。大人になってからの東北観はそれほど単純ではないが、しかし似たようなものかもしれない。」
そして詩人の話になり、やおら
「山形への旅は、はじめてである。」と話がはじまっておりました。


うん。橋田壽賀子の簡素から、
近藤麻理恵著「人生がときめく片づけの魔法」へといって、
それから中西輝政著「国民の覚悟」へとつなげたかったのですが、
めんどうなので、「国民の覚悟」(到知出版社・平成23年8月)から引用。

「ただ漫然と、『あ、これがいいですね』と一つ選んできて、『とりあえずここに集中させましょう』では駄目です。そこに魂があるかどうか、ということです。私はそれを見ようといつも思います。人が行動するときには、そういう気迫のようなものがどの程度あるのかというのは、成否を占う上で非常に大切なことだと思います。ある国、ある組織の興亡というもは、そういったぎりぎりのものにかける気迫を持っているかどうかによります。あれもこれもと、ひどい場合はあれもこれも捨てられないから足して二で割って、『一応これも取っておきましょう、一応あれも・・・』という形で、なかなか決断できないというのでは、必敗、つまり必ず負ける組織、破れる国となってしまいます。平成の日本はまさにそうです。・・・」(p180~181)
コメント
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